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カール・パンズラム
Carl Panzram (アメリカ)



カール・パンズラム


ヘンリー・レッサー

 今回は極悪非道な殺人者と一人の看守との友情の物語である。涙なくしては読み進めることが出来ないので、予めハンカチを御用意願いたい。

 時は1928年8月、ワシントンDC連邦拘置所での出来事である。4月に赴任したばかりの若い看守、ヘンリー・レッサーには気になる囚人がいた。大柄で、いつも無表情なカール・パンズラムという男である。
 或る日、見回りがてらに何気なく訊いてみた。
「あんたの裁判はいつから始まるんだ?」
「11月だ」
 その眼には凄みがあった。暗黒街の大物に違いないとレッサーは思った。
「娑婆では何をしていたんだ?」
「人間の更正だよ」
 すると同じ房の囚人たちが笑い出した。レッサーには意味が判らなかった。
「人間の更正?」
「そうだ。更正させるためには殺すしかない」
 しかし、調べてみると、男の容疑は窃盗だった。歯科医宅に侵入してラジオを盗んだのだ。そのことを問いただすと、
「そうさ。ケチな容疑さ。俺は何人も殺しているから、どおってことねえよ」
 レッサーは直ちにそのことを報告したが、上司はパンズラムのハッタリだと信じていた。
「あいつはああやって風呂敷を広げることで時間稼ぎしようとしてるんだ」
 実際、パンズラムは過去に何度も服役していたが、容疑はいずれも不法侵入や窃盗だった。

 10月22日、パンズラムの房が抜き打ちで検査された。鉄格子の1つが緩められている。こんなことを出来るのはパンズラムしかいない。直ちにしょっぴかれ、殴る蹴るの暴行を加えられた上に吊るし刑に処された。両手を背中で縛られて手首から吊るされた状態で12時間も放置されたのだ。
 心配したレッサーが様子を見に行くと、床に倒れていたパンズラムは、
「よお、お前さんかい?」
 手首の皮膚が裂けている。
「大丈夫か?」
「ああ、これぐらいは慣れっこよ」
 ところが、別の看守が房を覗き込むとパンズラムは口汚く罵った。たちまち4人の看守によってたかってボコボコにされた。
 同情したレッサーは、信用できる囚人に1ドルを預け、パンズラムに渡すように頼んだ。
「これで何かうまいものでも買うように伝えてくれ」
 金を受け取ったパンズラムは冗談かと思った。本心だと知った時、止めどもなく涙が溢れた。人から親切にされたのは生まれて初めてのことだったのだ。
「こういう時になんて云ったらいいのか俺には判らねえ。ただ、あんたにだけは俺のしてきたことを教えてやろう。紙と鉛筆を差し入れてくれないか? そうすれば書いて教えてやれる」
 囚人に紙と鉛筆を差し入れるのは規則違反だった。しかし、そうすることでこの男が救われると思った。翌日、レッサーは危険を冒して紙と鉛筆を差し入れた。

 カール・パンズラムは1891年6月28日、ミネソタ州の小さな農家で生まれた。6人兄弟の4番目だった。父親は彼が7歳の時に家出した。
 パンズラムが初めて警察のお世話になったのは僅か8歳の時だった。酒を飲んで補導されたのだ。そして、11歳で少年院に入れられた。
「そこで俺は人が他人に行うひとでなしの悪行について、たっぷりと教わることとなった」
 体罰としてしこたま殴られ、裸で縛りつけられたこともあった。社会に対する激しい憎悪の萌芽がこの時に芽生えた。

 その後も窃盗を繰り返し、シャバとムショを何度も行き来していたパンズラムは、1915年にその生涯を決定づける出来事に遭遇する。サンフランシスコで逮捕された時、盗品の隠し場所を吐けば刑を軽くしてやるとの取引を持ち掛けられたのだが、それに応じても刑は軽くならなかったのだ。
「俺は約束を守ったが、判事も検事も守らなかった。あいつらはたっぷり7年もの懲役を喰らわしやがったんだ。ブタ箱に戻った時、看守どもは俺を嘲笑った。堪忍袋の緒が切れたとはこのことだぜ。俺は房から抜け出すと、他の房の鍵穴をすべて埋めてから、辺りのものを手当りしだいにぶち壊した。そして、ガラクタを積み上げてバリケードにすると火を放ったんだ。だが、奴らが突入してきたんで消されちまった」
 単なる窃盗犯が全人類への復讐を誓った瞬間である。

 それからのパンズラムは事あるごとに反抗し、そのたびに穴ぐらに放り込まれてボコボコにされた。それでも彼はやめなかった。看守の顔に便器の中身をぶちまけたり、食料庫に侵入して盗んできたアルコールを囚人に振るまって騒ぎを起こしたり、囚人仲間の脱獄を手助けしたりした。その追跡の際に、刑務所長が銃撃されて死亡した。パンズラムは狂喜したが、新任の所長は彼を「消火ホースの刑」に処した。我が国でも死者を出した体罰である。それでもパンズラムは耐え抜いた。そして、この体罰が州知事の耳に入り、新所長は免職された。

 1917年、チャールズ・A・マーフィーがオレゴン州立刑務所長が就任した。彼は元陸軍大尉にしては珍しくリベラルな人物で、凶悪な囚人でも人として対等に接すればそれに応えてくれる筈だと信じていた。彼と出会ったことでパンズラムの人生に陽が射したかに思えた。ところが、結果としてこのことが裏目に出てしまうのである。



チャールズ・A・マーフィー

「マーフィーの方針はそれまでとはまったく違っていた。奴には残虐さのかけらもない。懲罰も独房に入れられるだけで、ベッドと三度の飯が与えられた。最初はこいつ、頭がおかしいんじゃないかと思ったよ」
 こんな所長ならば脱獄もチョロいだろうと、鉄格子を外しにかかったパンズラムは見咎められてしょっぴかれた。マーフィーは看守に訊ねた。
「パンズラムはこれまでどれくらい脱獄を試みたのかね?」
「8回です」
「そのたびに懲罰房に入れていたのだね?」
「はい」
「ならば懲罰は無意味だな」
「はあ」
「明日からパンズラムの食事の量を増やしてあげなさい。それから、字が読めるようだったら、本も差し入れなさい」
「はあ?」
 これには看守も面喰らったが、もっと驚いたのがパンズラムだ。あいつ、ホンマにアホとちゃうかと再び脱獄を試みた。またしてもしょっぴかれて、マーフィーの部屋に連行された。
「君はこの刑務所で一番の厄介者だそうじゃないか」
 パンズラムは黙って頷いた。
「だが、私はそうは思わない。君はそれほど悪い男じゃない」
 ここでマーフィーは驚くべき提案をする。
「君がもし『脱獄しない』と名誉にかけて約束するならば、君のために刑務所の門を開けよう。君は外に出て何処に行ってもいい。但し、夕食の点呼までには戻らなければならないぞ」
 パンズラムはしばらく考え、そして、名誉にかけて脱獄しないと誓った。もちろん、腹では脱獄するつもりでいた。ところが、夕食の時間が近づくにつれて、後ろ髪を引かれる思いに駆られた。気がついたら、パンズラムは刑務所に戻っていた。
「ムショに戻ると、仲間たちから『どうかしてる』と口々に云われた。 俺もそう思ったから『イカレてないかどうか見てくれ』と医者に頼んだが、イカレてはいなかったそうだ」
 あんなに凶悪だったパンズラムが模範囚になって行った。着実に刑務所改革が進められた。体罰はなくなり、食事は改善され、囚人による自主管理も行われるようになった。すべてが好転したかに思われたが、それをすべて御破算したのは他ならぬパンズラム本人であった。

 事が起こったのはその年の9月のことである。いつものようにぶらりと外に出掛けたパンズラムは近所の病院へと向った。今や模範囚の彼はそこの看護婦たちと文通をしていたのだ。ところが、その晩はいささか飲み過ぎて、夕食の点呼の時間を過ぎてしまった。魔が差すとはこのことを云うのだろう。パンズラムの脳裏にふたたび「脱獄」の二文字が浮かんだ。
 パンズラムは1週間後に捕まったが、マーフィーの面目は丸潰れだった。彼の采配は全米からの注目を集めていたというのに、結局ダメだということが実証されてしまったのだ。マーフィーは更迭され、刑務所も昔の豚小屋に戻って行った。
 マーフィーとの出会いと別れはパンズラムに転機を齎した。彼はこれまで社会は憎んでいたが、己れは憎んでいなかった。ところが、このたびは彼はマーフィーを裏切ったのだ。かつて己れが判事や検事にされたように。自暴自棄になった彼はどうなることかと殺人に手を染めるようになる。己れを含む地球上のあらゆるものを憎悪するモンスターと化してしまったのである


 1918年5月に脱獄したパンズラムは、ニューヨークでヨットを盗むと水夫の追い剥ぎ稼業を始めた。水夫を雇って沖に繰り出し、殺害して所持金を巻き上げるのだ。これで少なくとも10人は殺した。その後、アンゴラに渡り、6人の現地人を雇うとワニ狩りに出掛けた。
「クロコダイルさ。俺はまずエサをやることにした。6人のニガーを撃ち殺して海に投げ込んだんだ。死体はきれいに片付けてくれたよ」
 現地の少年を強姦して、頭を砕いたこともある(パンズラムは両刀使いだった)。どこまでが本当なのかは判らないが「レッサーにだけは教えてやる」という手記なのだから嘘を書く理由がない。すべて真実なのだろう。犠牲者は最終的に20人にも及んだ。

 パンズラムの手記をすべて読み終えたレッサーは、衝撃を受けると同時に深い感銘を受けた。特に現行の刑務所制度を痛烈に批判する件には知性すら感じた。まったくその通りなのだ。
「俺がどうして、こんな人間になってしまったのか? 知りたきゃ教えてやろう。俺は好き好んで畜生になったわけじゃない。世の中がそうしたんだ。奴らは俺を捕まえて、ムショでさんざっぱら虐待してから釈放するんだ。それの繰り返しだったんだ。
 例えば、あんたが虎の子を飼っていたとしようや。こいつを虐待して、獰猛で血に餓えた怪物にしてから世に放ったとする。そいつは手当たり次第に襲いかかり、地獄のようなありさまになるだろう。それと同じことがこの国では行われているんだよ」



パンズラムからレッサーに宛てた手紙

 1928年11月12日、パンズラムに判決が云い渡された。国内で最も過酷と云われているカンザス州リーブンワース刑務所における25年にも及ぶ懲役刑だった。レッサーは彼に何と声をかけていいのやら判らなかった。煙草をひと箱余分差し入れることで自分の気持ちを表した。

 年が明け、パンズラムが移監される日が近づいてきた。レッサーは上司からパンズラムの独房の点検を命じられた。
「お前の仕事は、あのイカレた野郎のお守りだ。あいつはお前には懐いているようだからな」
 レッサーは鉄棒を手にパンズラムの独房へと向った。鉄棒を一瞥したパンズラムは全身に緊張をみなぎらせてレッサーを見据えた。それは鞭を警戒する野獣のようだった。レッサーは「何もしないよ」という意味を込めて微笑み、パンズラムの背後にある鉄格子の窓を指差した。
「なあ、カール。君はあんなに綺麗な夕日を見たことがあるかい?」
 その瞬間、パンズラムは後ろに飛び退いた。そして訊ねた。
「どうして俺を振り向かせようとするんだ?」
 レッサーは鉄棒に眼をやりながら云った。
「ああ、これかい? あの窓を点検しなきゃならないんだ。ただそれだけさ」
 パンズラムはレッサーの真意を吟味しているようだった。そして、結論が出たのか、次第に緊張が解れていった。
「以前、俺を振り向かせて、その隙に鉄棒で殴った奴がいたんだ。だからあんたもそうするのかと思ってな」
「私はそんなことはしないよ、絶対に」
 レッサーは窓に近づくと、鉄格子を1つずつ鉄棒で叩いて緩んでいないかを調べ始めた。その背後でパンズラムがにじり寄ってくる気配を感じた。それでもレッサーは点検を続けた。
「夕日なんかに関心を向けようとしてすまなかった。君は今、とてもそんな気分になれないよな」
 レッサーはゆっくりと歩いて房を出ると、ドアに鍵をかけた。
「あんたは勇気がある」
 パンズラムが低い声で云った。
「だがな、あんな風に俺に背中を向けちゃいけない。もう二度とするな」
 レッサーは笑って云った。
「勇気があるんじゃないよ。君が私に手を出さないことを知っているだけさ。友達じゃないか」
 しばしの沈黙の後、パンズラムは応えた。
「ああ。あんただけは殺したかないよ。だがな、今の俺はひどく不安定で、どんなことでもしてしまいそうなんだ。だから、気をつけろよ」

 リーブンワース刑務所に移監されたパンズラムは、間もなく作業監督ロバート・ウォーンクを殺害し、死刑を宣告された。事件を知ったレッサーはその減刑に奔走したが、パンズラムに窘められた。
「目を覚ませよ、若えの。俺は善人になろうなんてこれっぽっちも思ってないんだぜ。俺がこうなるまでに36年もかかったんだ。それなのにどうしてあんたは俺が善人に生まれ変わるなんて戯けたことを信じているんだい?」
 パンズラムは死刑になることを望んだ。折しも死刑反対運動が高まっていたが、彼はフーバー大統領に手紙を書き「どうか俺を殺してくれ」と直訴した。
 レッサーにはもうどうしようもなかった。彼に出来ることは手記を世間に広め、刑務所制度の改善を促すことだけだった。多くのジャーナリストや作家が感銘を受けたが、衝撃的な内容だけにその出版は困難を極めた。ようやく実現されたのはパンズラムの処刑後40年も経過した1970年のことだった。その間、看守の職を辞したレッサーは、今は亡き「友人」のために努力し続けていたのである。

 なお、パンズラムとレッサーの奇妙な友情の物語は、オリヴァー・ストーンの製作により1995年に映画化されている(邦題は『KILLER/第一級殺人』)。ジェイムス・ウッズがパンズラムに、ロバート・ショーン・レナードがレッサーに扮し、この2人の迫真の演技により男泣きの感動作に仕上がっている。興味を持たれた方は是非御覧になることをお勧めする。


参考文献

『第一級殺人』トーマス・E・カディス&ジェームス・O・ロング編(扶桑社)
週刊マーダー・ケースブック31『憎しみの殺人者たち』(ディアゴスティーニ)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『猟奇連続殺人の系譜』コリン・ウィルソン著(青弓社)


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