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ローランド・B・モリノー
Roland Burnham Molineux (アメリカ)



モリノーの著作の一つ

 1898年12月23日、ニューヨーク上流社会の若頭、ハリー・コーニッシュのもとに匿名の小包が届いた。中身は1瓶の鉱泉水である。いつも二日酔いの自分に対するからかいの贈り物だろうと、然して気にも留めなかった。
 12月28日、下宿先の家主であるアダムズ夫人が頭痛を訴えた。ならばこれをどうぞと鉱泉水を飲ますと、まあ、なにこれ? にっがいにがい。え? そんなに苦いんですか? どれどれ。それほど苦くはないですよ。あれ? どうしたんですか? 震えてますよ。寒いんですか? え? どうして? どうして? どうして死んじゃったの?
 やがてコーニッシュ自身も体調を悪くして入院した。 送られてきた鉱泉水にはシアン化水銀が混入されていたのである。

 コーニッシュが所属する「ニッカーボッカー・アスレチック・クラブ」ではこのような事件は初めてではなかった。つい1ケ月ほど前に会員のヘンリー・バーネットが急死して、郵送された毒物を口にして死んだのではないかと噂されたばかりなのだ。そのバーネットと一人の女性を巡って火花を散らしていたのがローランド・B・モリノーだった。彼はバーネットが死ぬとこれ幸いとプロポーズ、すぐさま結婚式を挙げた人非人だ。モリノーは最近、コーニッシュとも揉めていた。クラブ主催の重量挙げコンテストで負けたことを逆恨みし、コーニッシュを脱会させろとクラブに迫っていたのだ。
 モリノーが薬剤師であることも嫌疑を深めた。加えて小包の筆跡鑑定もクロと出た。モリノーの有罪判決は揺るぎないかに思われた。ところが、いったんは有罪判決が下されたものの、父親の財力を駆使して大弁護団を組織し、見事に無罪を勝ち取ったのである。恐るべきボンクラ力だ。

 裁判中にその知名度を悪用して『小さなドアの部屋』という著作を出版していたモリノーは、その後も新聞に寄稿する等、作家として活躍したが、次第に精神のバランスを失い、1913年に癲狂院に収容されて4年後に死んだ。天誅であろう。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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