パトリック・マーンはどうしようもなく女が好きだった。若くして結婚したが、それでも浮気の虫は治まらず、その資金を捻出するために小切手偽造や横領、強盗を繰り返し、何度も警察のお世話になっていた。1916年に起こした強盗事件には呆れてしまう。邸宅に忍び込むや否や女中に見つかり、殴打して気絶されるも、いい女だったので介抱し、
「先ほどは失礼しました。キッスしてもよろしいでしょうか?」
などと口説き始めたというのだからやんなっちゃう。女が好きにもほどがある。すぐに身元が割れて、5年の懲役を喰らうのだった。
それでも妻は寛容にもマーンを許し、彼女の口利きで販売外交員としての職を得た。
「心を入れ替えて、これからは真面目に働きます」
との妻への誓いは、3つ年上の魅力的な女性、エミリー・ケイとの出会いで反故にされた。しかも、このたびはただの浮気というわけには行かなかった。エミリーが妊娠してしまったのだ。
37歳のエミリーは、そろそろ身を落ち着けなければと焦っていた。そこにマーンが現れて、彼の子供を身籠ったのだ。「しめた!」ってなもんである。彼女はマーンに駆け落ちを持ちかけた。
連れて〜に〜げ〜て〜よ〜。
おいおい、歌ってる場合じゃねえぜ、冗談じゃない。何で俺が逃げなきゃならんのよ。ハナから遊びのつもりだったマーンはあからさまにエミリーを避けるようになった。普通ならここで本妻との擦った揉んだの大喧嘩が始まるところだが、そうならないのがこの話の面白いところだ。
「駆け落ちが嫌なら、しばらく一緒に暮らしましょ? きっとあなたは私のことがもっと好きになる筈よ」
楽天的な女である。コリン・ウィルソンは著書『犯罪コレクション』の「犠牲者」の項で、生来的な犠牲者のタイプが存在することを指摘しているが、彼女がまさにそれだ。犠牲者となりやすい立場を自らが作り出している。もっと云えば、殺人を犯さなければならない状況にマーンを追い込んでいるのだ。
かくして、彼女が「愛の実験」と呼んだ同棲生活がイングランド南東の海岸イーストボーンの貸し別荘で始まった。妻には「出張」と偽って出掛けたマーンは、エミリーが待つ「愛の実験室」へと向う途中で金物屋に寄り、包丁とのこぎりを購入している。1924年4月上旬のことである。
エミリー・ケイという女性は、底抜けのロマンチストだったようだ。自分で婚約指輪を買い、友人たちに、
「もうすぐ南アフリカに駆け落ちするの!」
などと吹聴していたという。イーストボーンからも友人宛に駆け落ちの計画を綴った手紙を送っている。パスポートを取るために2人はロンドンに引き返したが、マーンはこれを断固拒否。
「だから、なんで俺が南アフリカに逃げなきゃならんのよ」
イーストボーンに戻る汽車の中で2人が激しく云い合うさまが乗客に目撃されている。それ以降、エミリー・ケイの姿を見た者はいない。
一方、マーン夫人は夫の素行調査をジョン・ベアードという探偵に依頼していた。夫がちゃんと更正したかを調べるためだ。そして、帰宅したマーンの上着からウォータールー駅の手荷物預かり札を見つけ出した。早速ベアードに調べてもらったところ、預かり品は旅行鞄で、中身は血まみれの衣服と包丁だ。尋常じゃない。ベアードは夫人の了解と得た上で警察に通報、預かり札はマーンの上着に戻しておいた。かくして鞄を受け取りに出向いたマーンは、待機していた警官に逮捕された次第である。
「どうしてこんなに血まみれなんだ?」
「私は、犬が大好きでして。あの、犬の、犬の餌を中に入れてたんです」
「犬の餌あ? これは人間の血だぞ。あんたは犬に人間を喰わせてるのか?」
「いや、そんなことはないんで、あの、何かの間違いです。犬の肉なんです。本当です」
「犬の肉う?」
「犬の肉です犬の肉、犬の、犬の…。何もかもお見通しのようですね…」
観念したマーンはエミリー・ケイの血であることを認めた。しかし、殺害は否定し、あくまでも事故だったと主張した。別れ話がこじれて揉み合ううちに彼女が転倒、頭を打って死んでしまったというのだ。
しかし、この話はとても信じられるものではない。まず、前述の如く、マーンは事前に包丁とのこぎりを購入している。これは予め殺意があったことの何よりの証拠である。
また、イーストボーンへと向う汽車の中で、マーンは若い女性と知り合い、食事の約束をしている。その約束の日とはエミリーが死んだ翌日だった。つまり、彼はその日にはもうエミリーから解放されることを知っていたのである。
おまけに、マーンは女性と食事をした後に、犯行現場に連れ込んで一夜を共にしていたのだ。隣の部屋には首を切り落とされた死体があるにも拘わらず、よくぞ勃ったと感心する。いやはや、トンデモない女好きである。チンポコが服を着ているとしか思えない。
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