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マリー・ラファルジュ
Marie Lafarge (フランス)



マリー・ラファルジュ

 マリー・ラファルジュの事件は夫婦のありふれた諍いの物語に過ぎない。ところが、彼女が王家の血筋を引く「尊き御方」であったこと、そして、毒物鑑定を巡る争いが学会を二分する大論争にまで発展してしまったことで、連日のように新聞のトップを飾る大事件となってしまった。彼女にとって極めて不運なことである。毒殺について語る上で避けては通れない存在になってしまったのだ。そして、こうして「殺人博物館」に展示されるハメになるのである。

 マリー・ラファルジュ、旧姓カペルは1816年1月15日に生まれた。祖母は七月革命によって王になったルイ・フィリップの父君とオルレアン家の家庭教師との間に生まれた不義の子で、かなりの隔たりはあれど王家の血を引く者には違いない。12歳の時に両親が相次いで亡くなり、武器商人をしていた叔父に引き取られた。蝶よ花よと育てられたわけだが、やがて厳しい現実に直面する。叔父が亡くなると遺産はすべて息子が相続し、マリーはささやかな持参金を与えられただけで屋敷から追い出されてしまうのである。

 彼女は慌てて嫁ぎ先を探したが、いい縁談がそうそう簡単に転がっているものではない。かと云って、ゆっくりと探している暇はない。妥協に妥協を重ねた結果、シャルル・ラファルジュで手を打った。どん百姓然とした野暮な男だが、グランディエに大荘園を構え、製鉄工場も経営しているという。それなら生活は安泰だ。これまで通りに優雅に暮らして行ける筈。
 ところがどっこい、蓋を開ければ大荘園は小汚い農家、製鉄工場は朽ち果てた鍛冶屋だった。
 だまされた〜あ、だまされた。
 だまされた〜あ、だまされた。
 自棄を起こした彼女は「毒を飲んで死んでやる」とシャルルを脅し、部屋に閉じ籠って泣き明かした。しかし、彼女は天涯孤独の身。逃げ帰る場所がないのである。次第に冷静さを取り戻し、現状を受け入れたかに思われた。

 そんな或る日のこと、借金の算段のためにパリに赴いていたシャルルは、妻からの手作りクッキーの小包を受け取った。うれしいじゃあ〜りませんか。感涙に咽びながらパクつくや否や、たちまち具合が悪くなった。半端じゃない胸焼けに悶え苦しみ、そのまま床に臥してしまった。
 自宅に帰還してからも、シャルルの容態は一向によくならなかった。マリーは昼夜を徹して夫に付き添い、かいがいしく看病した。これを訝しく思ったのが姑である。あんなにこの家がイヤだと泣き叫んだというのにこの豹変ぶり。怪しい。たしかに怪しい。息子に毒を盛っているんじゃないかしら。
 地元の医師の診断は「砒素中毒」。医師は自ら解毒剤を調合すると、これをシャルルに飲ませた。ところが、シャルルは治るどころか苦悶に喘ぎ、そのまま死んでしまった。1840年1月13日のことである。

 嘆き悲しんだ姑はマリーを息子殺しで告発した。彼女の部屋を捜索すると、砒素こそ見つからなかったものの、彼女が持っている筈のない宝石類が発見された。それはマリーが嫁ぎ先を探している間に奉公していたレオトー夫人の家から盗まれたものだった。かくしてマリーはひとまず窃盗の容疑で逮捕され、2年の禁固刑に処された。

 お次は殺人罪の番である。シャルルを診断した地元の医師は「たしかに砒素中毒の兆候があった」と証言したにも拘わらず、遺体からは砒素は検出されなかった。それでも検察側は食い下がり、3度も検視を行ったが、答えはいずれもノーだった。
 このままでは埒が明かないと感じた弁護人は、毒物学の権威、ジョセフ・オルフィラ教授に鑑定を依頼。その道の権威の御墨付きを得ることで検察側の主張をはね除けようと考えたのだが、なんと、このオルフィア教授が砒素を検出してしまう。とんだ番狂わせである。
 もっとも、教授はシャルルが死後に砒素に犯された可能性を示唆していた。筋肉組織からは砒素は検出されなかったからである。しかし、鬼の首を取ったかのような検察側の猛攻撃の前には色がなかった。
 慌てた弁護側はもう一人の権威、フランソワ=ヴァンサン・ラスパイユ教授の鑑定を法廷に求めたが、もはや後の祭りだった。新たな鑑定は行われることなく、マリーは終身刑を云い渡された。獄中で結核を患った彼女はナポレオン三世の恩赦により釈放されたが、数ケ月後の1852年9月7日に死亡した。36歳だった。

 ラスパイユがオルフィラに挑んだ論争は「人体には自然状態でも砒素が含まれている」というもので、彼はシャルルの死因を解毒剤に求めていた。私も解毒剤が直接の死因だと思う。だとすればマリーは無実だったのか? そう断定するのも難しい。確かなことは、彼女は灰色だが黒ではない。有罪判決は誤審だったと云うべきだろう。


参考文献

『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『殺人コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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