エレーヌ・ジュガードが殺人に目覚めたのは30歳の時だった。そんなもんに目覚めて欲しくないものだが、とにかく、孤児として生まれた我が身の不遇の腹いせなのか、それとも単なる暇つぶしだったのかは判らないが、実の妹を含む家族7名を次々と毒殺した。
やがて女中としての奉公先でも同僚や主人を次々と殺し始めた。彼女は奉公先を転々としたため、その犯行は発覚しなかった。
「私の行く先々で、いつも誰かが死んでしまうの…」
彼女はそう云って嘆いたという。悲劇のヒロインを演じることに喜びを感じていたのかも知れない。修道院に入ったのもそうした訳だろう。しかし、彼女はここでもシスターを殺して追い出されてしまう。体面を慮った修道院は警察には知らせなかった。
エレーヌの犯行が発覚したのは1851年7月のことである。いつものように同僚の女中を毒殺したのだが、このたびの担当医が真面目な人で、検視解剖されてしまった。死因は砒素中毒である。警察が事情聴取に出向くと、エレーヌは、
「私は無実です」
「はあ? どうしてそんなこと云うんだね? 誰もあんたがやったなんて云っとらんよ」
つまり、彼女は勇み足で墓穴を掘ったのである。
17件の殺人で有罪となったエレーヌ・ジュガードは、ギロチンにより処刑された。その犠牲者の正確な数は判らないが、少なくとも34人は殺害したと見られている。
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