もう何だかワケの判らない事件である。今回は1人も死んでいないので、安心してバカな話を楽しんで頂きたい。
ここはテキサス州チャンネルヴュー。ワンダ・ホロウェイは14歳になる娘のシャナを何としてでもチアリーダーにしたかった。実は彼女自身がチアリーダーになりたかったのだが、スカートの裾が短過ぎると厳格な父に反対され、思いを遂げることが出来なかったのだ。だからその夢を娘に託したのである。巨人の星チアリーダー版だと思えばよろしい。
ワンダはその夢を叶えるために、シャナをアリス・ジョンソン校に転校させた。ところが、お隣さんのヴァーナ・ヒースは、娘のアンバーを転校させることなく同校に頼み込んで、まんまとポンポン・テストを受けさせることに成功したのである。
「ちょっと! 不公平じゃないのよ!」
ワンダの怒りは、シャナが落ちてアンバーが受かったことで頂点に達した。彼女は娘のために抗議運動を始め、スローガンをプリントした特製定規セットを作って校内で配って歩いた。ところが、PTAからのクレームに遭って敢えなく撃沈。ならば人知れずやるより仕方があるまいと、前夫の弟ジョン・ハーパーを呼び出して、ライバル母子を始末してくれと依頼した。1990年1月のことである。
ハーパーはもちろん断った。
「おいおい、穏やかじゃねえな。女の子まで殺せってえのかい?」
「別にそうは云ってないわ。自動車事故に遭うかもしれないし、家が火事になることだってあると思うの」
いや、あんさん、云ってまんがな。
ワンダはその後も執拗に頼み続けた。数ケ月も経った頃、ハーパーは気が変わったのか、具体的な金額を提示して来た。母子セットで2万ドル。これにはワンダが仰天した。
「あんた、ちょっと高過ぎるわよ!」
「姐さん、こいつぁ乾物屋に押し込むのとワケが違うんだぜ。せめてこれぐらい貰わねえと合わねえよ」
その後、値切り交渉が続けられ、1991年1月28日にようやく母親だけ2500ドルで始末することで合意に至った。ワンダは前金としてダイヤのイヤリングを手渡し、残りは契約履行後1ケ月以内に支払うことを約束した。
2日後、ワンダは逮捕された。実はハーパーはワンダから殺しを依頼された直後に警察に通報していたのだ。つまり、その後の値段交渉はハーパーの協力に基づくオトリ捜査だったのである。その模様はすべて隠しマイクにより録音されていたのだ。
法廷で弁護人は、ハーパーがワンダを積極的に教唆した旨を主張し、警察に協力したのには不純な動機(不仲な兄に取り入って、遺産のおこぼれを頂戴したい)があったことを暴露したが、最初にキテレツな殺しを持ちかけたのはワンダである。陪審員は誰一人としてワンダに同情しなかった。
かくして15年の実刑を喰らったワンダであったが、1997年3月1日には仮釈放されている。
なお、本件は1993年にホリー・ハンター主演でTVM化されている。ハンターはもちろんワンダ、ボー・ブリッジスがハーパーに扮しており、TVMにしてはかなり豪華だ。筆者は未見だが、調べてみたら分類は「実録犯罪」ではなく「コメディ」だった。
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