1726年3月2日、ロンドンのウエストミンスターにあるセント・マーガレット教会前に奇妙な見世物が出来た。棒に突き刺されたそれは男の生首だった。その日の未明にホースフェリー埠頭近くのテムズ川の河川敷で発見されて「この顔にピンときたら」と情報提供者を募るために掲示されたのである。昔は野蛮だったのであるなあ。私の祖母も玉ノ井バラバラ事件の折りに、生首の手配写真が町中に貼られていたのには辟易したと語っていたが、そのまた昔は実物を掲示していたのである。
この顔にピンときた者は数日経てども現れなかった。やがて生首は腐敗し、ぐずぐずと崩れ始めた。こりゃアカンと掲示をやめて、腐敗を防止するためにジンに浸して、心当たりがある者にだけ見せることにした。ならば最初から似顔絵を掲示すればよかったのではとも思われるが、おそらく悲惨な屍体を掲示して犯罪全般を抑止する効果も意図されていたのだろう。晒し首と同じ要領である。しかし、晒された方としては堪らない。この人は被害者なのだ。見世物にされる謂れはない。
やがてジョセフ・アシュビーという男が生首の閲覧に訪れ、親友のジョン・ヘイズであることを確認した。ヘイズは3週間ほど前から行方不明になっていた。妻のキャサリン・ヘイズは「夫は旅行に出掛けたのよ」などと釈明していたが、夫婦を知る者の間では「キャサリンが殺したのではないか」ともっぱらの噂になっていたのだ。
3月23日、キャサリンは生首の確認のためにしょっぴかれた。
「あれまあ、これは愛しい夫の首でございますわ」
と叫んだキャサリンは、ガラス瓶を抱き締めて嘘泣きをした。あまりの白々しい演技に、医師のウエストブルックは意地悪をした。
「間違いがあるといけないから、首を直に見たらどうだね?」
キャサリンは一瞬たじろいだが、生首を瓶から出すと、あれまあ、あれまあなどと喚きながら、でろでろの生首にキッスを浴びせた。すげえ。ハンパねえぜ、このアマ。
「おいおい、そんなにすると、お前さんの顔中血みどろだよ」
ヒッと叫んだキャサリンは、その場でキューッと気絶したが、こんなことで気絶するようなタマではない。これも裁かれたくない一心での捨て身の演技である。
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