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シェイラ・ガーヴィー
ブライアン・テヴェンデイル

Sheila Garvie
Brian Tevendale (イギリス)



ガーヴィー夫妻

 殺人そのものよりも、被害者の変態性欲の方が大々的に報道されたスキャンダラスな事件である。

 後に殺人者として起訴されるシェイラ・ワトソンが、雇い主であるマックスウェル・ロバート・ガーヴィーと結婚したのは1955年6月のことである。
 ガーヴィーはスコットランド北東部キンカーディンシャーの豪農の倅で、早い話がボンボンのどら息子だ。地元に飛行クラブを設立して、自家用機でロンドン、ハンブルグ、アムステルダム、ロッテルダムと飛び回っていた。スコットランド国民党の地区支部を設立する等、政治活動にも熱心だったが、その一方でヌーディズムに興味を持ち、遂にはアバディーンにヌーディスト・クラブを設立した。

 この頃から彼の性的嗜好は非凡となり、スワッピングを好み、アナルや男色にも目覚めた。 主に好んだお相手がスコットランド国民党党員のブライアン・テヴェンデイル(22)だ。彼は週末になるとガーヴィー邸に招かれた。やがて、ブライアンの姉のトルーディ・バースも仲間に加わり、このおかしな4人組は近隣のもっぱらの噂となった。ガーヴィー邸は「変態屋敷」と呼ばれるようになったというから恥ずかしい限りである。

 シェイラはこんな生活がイヤだった。彼女にはもう2人の娘と1人の息子がいる。嗚呼、それなのにそれなのに、この歳になってどうしてアナルを犯されて、夫の眼の前で他の男や女と交わらなければならないの? 普通の主婦になりたいのに。シェイラは既に何度も何度も合体済みのブライアンに「連れて逃げてよ」と懇願した。2人の駆け落ちは1968年3月に実行されたが、すぐにガーヴィーに見つかって「変態屋敷」へと連れ戻されたのであった。
 その2ケ月後にマックスウェル・ガーヴィーは失踪する。

 1968年5月19日、妹のヒルダが兄の失踪を届け出た。5日前にスコットランド国民党の会合に出席したのを最後にその消息が途絶えていたのだ。やがて彼の車が飛行クラブの滑走路脇で発見されたが、自家用機はそのままだった。
 警察は当初からシェイラとブライアンを疑っていた。おそらくマックスウェル・ガーヴィーはもうこの世の者ではないだろう。3ケ月後の8月17日にようやく逮捕に踏み切った。その翌日、頭部を撃たれたガーヴィーの遺体が近郊の地下トンネルの中で発見された。

 世間の関心は事件そのものよりも「変態屋敷」での性生活に集中した。被告の2人によれば、それは全てガーヴィーの強要に基づくものだった。彼はシェイラにアナルセックスを強要したが、彼女はそれが嫌だった。だからそれを受け入れるトルーディ・バースが仲間入りした。時にトルーディの夫(なんと警察官)も仲間に加わり、別の女も交えて3対3の乱交パーティーを催すこともあった。こうなるともう洋ピンの世界である。ガーヴィーはブライアンに金を払って鞭打ちしたこともあったという。

 ブライアンによれば、彼がシェイラからの電話で「変態屋敷」に訪れた時には、既にガーヴィーは死んでいた。シャイラ曰く、銃で脅されてアナルセックスを強要された。彼女は必死で抵抗し、銃の奪い合いになった。それが暴発してガーヴィーは死んだ。ブライアンは死体遺棄を手伝ったに過ぎない。
 ところが、死体遺棄の共犯者として逮捕されたブライアンの友人、アラン・ピータースの云い分は異なる。曰く、ガーヴィーを殺したのはブライアンである。シャイラは殺人には関わっていない。
 陪審員はどちらの話も信用せず、シェイラとブライアンは共に殺人の容疑で有罪となり、終身刑に処された。一方、アラン・ピータースは証拠不十分で無罪となった。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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