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アルバート・フィッシュ
Albert Fish (アメリカ)



アルバート・フィッシュ


グレース・バッド

 アルバート・フィッシュは私の知る限り「最も倒錯した人類」である。彼の前ではエド・ゲインジェフリー・ダーマーもマトモに見える、というのは些か云い過ぎだが、少なくともゲインやダーマーは何を考えているのかぐらいは判る。ところが、フィッシュは何を考えているのやらさっぱり判らない。正常な人間が彼の頭の中を覗いたら、それだけで発狂してしまうのではないだろうか。

 事の発端は1928年5月28日に遡る。ニューヨークの安アパートに暮らすバッド家にフランク・ハワードと名乗る老人が訪ねて来た。手には『ワールド・テレグラム』紙が握られている。
「この新聞に求職広告を出したのはお宅かね?」
 広告を出したのは息子のエドワード(18)だった。家長たるアルバート・バッドの収入だけでは妻と4人の子供の生活を支えるのは厳しかったのだ。
「わしゃロングアイランドのファーミングデールに農場を持っとるんだが、人手が足りなくて困っておる。真面目に働いてくれるんなら週給15ドル払う。うちに来て下さらんか」
 一家は大喜びだが、老人は「他の求職者にも会ってから決めます」とその日は帰って行った。

 6月3日、老人は再び訪ねて来た。そして「お宅の息子さんに決めたよ」と土産のカッテージチーズを差し出した。一家と昼食を共にした老人は、次男坊に「これで映画にでも行きなさい」と小遣いをくれた。一家はすっかり打ち解けて雑談していると、老人がこんなことを云い出した。
「わしの妹がコロンバス通りの137丁目に住んどるんだが、今日、そこの女の子の誕生日パーティーに呼ばれとるんだ。よかったらお嬢ちゃんを連れてってあげようか?」
 娘のグレース(10)は大喜びだ。両親は諸手を挙げて「どうぞどうぞお願いします」と、親切な老人と娘を送り出した。
 グレースはそのまま帰ってこなかった。
 翌朝になっても帰って来ない。両親は警察に届け出た。
 コロンバス通りは109丁目までしかなかった。また、ロングアイランドに農場を持つ「フランク・ハワード」なる人物も存在しなかった。
 手掛かりはまるでなかった。グレースの消息がまったく掴めないままに月日は流れ、6年後の1934年11月11日、バッド夫人は以下のような不気味な手紙を受け取った。

「拝啓、バッド夫人。
 1894年、私の友人ジョン・デイヴィスはタコマ号に乗り込み、サンフランシスコから香港に向いました。香港に着くと陸に上がり、二人の同僚と酒を飲みました。港に戻った時は既に遅く、船は出た後でした。
 折しも中国は飢饉の真っ只中で、どんな肉でも1ポンド1ドルから3ドルするというありさまでした。貧民の苦しみは大変なもので、12歳以下の子供はみんな肉屋に売られて切り裂かれ、食料として売られました。子供は男も女も安心して町を歩けませんでした。どこの肉屋でもステーキやシチュー用の肉が買えました。子供たちのからだの好きなところを切り分けてくれるのです。最もおいしいお尻の肉は子牛のカツレツと称して、いちばんの高値で売られていました。
 長いこと香港にいるうちに、ジョンは人間の肉が大好きになってしまいました。ニューヨークに戻った彼は、7歳と11歳の2人の少年をさらいました。そして、家で裸にすると、縛って押し入れに閉じ込め、2人が身につけていたものを全部燃やしました。彼は毎日、2人のお尻をひっぱたき、上質のやわらかい肉にしようとしました。
 まず11歳の少年を殺しました。その子の方がお尻がぽっちゃりしていて、肉の質もよかったからです。頭と骨と内臓を除いて、余すところなく料理して食べました。ローストに煮物、照焼き、揚げ物、シチューといろいろ楽しみました。続いて7歳の子にも同じようにしました。
 当時、私は東100丁目の409番地に住んでいました。人間の肉がどんなにおいしいか、ジョンがしょっちゅう話して聞かせるので、私はとうとう味見してみることにしました。
 1928年6月3日、私はカッテージチーズを持って、あなたのお宅を訪ねました。私たちが一緒に昼食をとっていると、グレースが膝の上に乗り、私にキスをしました。その時、私は彼女の肉を食べてみようと決めたのです。パーティーと偽って彼女を連れ出そうとしました。あなたは行ってもいいと云いました。
 私は彼女を、あらかじめ選んでおいたウエストチェスターの廃屋に連れて行き、外で待っているように云いました。彼女は辺りの花を摘んでいました。私は2階に上がると、服をすべて脱ぎました。そうしないと服に血がついてしまいますからね。すっかり準備が整うと、私は窓まで行って彼女を呼び、押し入れに隠れて彼女は入ってくるのを待ちました。グレースは裸の私を見ると泣き出しました。私が捕まえると、ママに云いつけてやる、と喚きました。
 私はまず彼女を裸にしました。暴れたのなんの。噛みつくは引っかくはで大変でした。そして首を絞めて殺し、肉を細かく切り刻みました。オーブンで焼いた小さなお尻の、なんとやわらかくておいしかったことか。彼女のからだを食べ尽くすのに9日かかりました。
 その気になれば出来ましたが、私は彼女を犯していません。お嬢さんは処女のまま死にました」

 前段は明らかに創作だが、後段は事実のように思える。手紙の主は犯人しか知らない「カッテージチーズ」を知っている。夫人は慌てて警察に届け出た。
 6年前から事件を担当していたウィル・キング刑事は、手紙の入っていた封筒の折り返しにインクで消された刻印を発見した。分光器にかけると「NYPCBA」と読める。「ニューヨーク顧客専属運転手共済組合」のことだ。キング刑事は組合員全ての筆跡を調べたが、手紙と一致する者はいなかった。そこで組合の封筒を私用で持ち出した者はいないか訊ねると、リー・シスコスキーという運転手が手を挙げた。何枚かを西52丁目200番地のアパートに置いてきたという。早速現地に出向き、女家主に犯人の風体を説明すると、彼女は即答した。
「ああ、それなら7号室のアルバート・フィッシュさんですよ」
 フィッシュは既に引っ越していたが、息子の一人が送ってくる小切手を取りに毎月訪ねて来るという。そこでキング刑事は部屋を借りて張り込み、3週間後にようやく逮捕に漕ぎ着けた。



取調中のアルバート・フィッシュ


フィッシュのレントゲン写真

 フィッシュはグレースの殺害を認めた。手紙にあった「ウエストチェスターの廃屋」を捜索した警察は、手紙に書かれていたことが事実であることを確認した。彼はグレース・バッドの他にも、1910年から34年にかけて400人の子供を殺したと供述した。にわかには信じられない数だが、少なくとも15人は殺害していることは間違いないようだ。

 アルバート・フィッシュは1870年、ワシントンDCで生まれた。5歳の時に父を亡くし、孤児院で不幸な幼少時代を過ごした。15歳でペンキ屋の見習いとなり、28歳で9つ下の女性と結婚した。物静かで敬虔なクリスチャンだった彼は、6人の子供を可愛がる模範的な市民だった。
 ところが、その裏で彼は、密かに貧民街の子供たちを相手に数々の猥褻行為を働いていた。また、手癖も悪く、1902年に800ドルを盗んだかどで逮捕され、2年間服役している。

 フィッシュの異常性が顕著になったのは、1917年に妻に逃げられてからである。贖罪を求めて、自らを罰するようになったのだ。子供に頼んで鞭を打たせるなどは序の口で汚物を食べたり、肛門にアルコールに浸した綿を入れて火をつけたり、陰嚢に針を突き刺したりしていた。左に彼のレントゲン写真があるが、29本の針が陰嚢に刺さったままである。
 フィッシュが子供たちを殺害し、食べ始めたのもこの頃からだと思われる。彼は1927年に4歳のビリー・ギャフニーを食べた時の模様を、弁護人のジェイムス・デンプシーに宛てた手紙の中でこのように書き綴っている。

「私は坊やの裸のお尻を、血が流れるまで鞭で打ちました。そして、耳と鼻を削ぎ落とし、口の両側を耳まで切り裂き、目玉をくり抜きました。その時はもう、坊やは死んでいました。
 まず腹にナイフを突き刺して、流れる血を飲みました。それからからだを切り刻みました。頭、足、腕、手、膝から下を切断して、それぞれを石を詰めた麻袋に入れて池に棄てました。
 好きな部分の肉は家に持って帰りました。まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉でシチューを作りました。たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました。なかなかいい味でした。
 お尻の肉は二つに切り分けて、おちんちんと一緒に皿に置き、細かく刻んだベーコンを載せてオーブンに入れました。15分ほど焼いたところで、ソースを作るために半リットルの水をかけ、タマネギを4つ入れました。そして肉が焦げないように、たびたび木のスプーンで肉汁をかけました。
 2時間ほどすると、肉はこんがりと焼き上がりました。ぽっちゃりした坊やのお尻のおいしいことといったら、ローストターキーなんか比べものになりません。私は4日かけて、そっくり平らげました。小さなおちんちんはナッツみたいで美味でしたが、睾丸は硬すぎて噛み切れないのでトイレに棄てました」

 弁護人は精神異常を主張したが、陪審員は有罪を評決し、フィッシュは死刑を宣告された。陪審員の一人はこのように語った。
「奴はキチガイだとは思うが、電気椅子送りがふさわしい」
 これに対して、彼の精神鑑定を担当したフレデリック・ワーサム博士が反論した。
「この男は治療出来ないばかりでなく、罰することも出来ないのです。彼の歪んだ心は、最後に味わう究極の苦痛として電気椅子を待ち望んでいるのです」
 事実、フィッシュは電気椅子に座ることを楽しみにしている旨を記者たちに語った。
「わくわくしますよ。まだ試したことがありませんから」


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『殺人百科』コリン・ウィルソン(彌生書房)
『食人全書』マルタン・モネスティエ著(原書房)
『カニバリズム』ブライアン・マリナー著(青弓社)
『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『平気で人を殺す人たち』ブライアン・キング著(イースト・プレス)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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