取調中のアルバート・フィッシュ
フィッシュのレントゲン写真
|
フィッシュはグレースの殺害を認めた。手紙にあった「ウエストチェスターの廃屋」を捜索した警察は、手紙に書かれていたことが事実であることを確認した。彼はグレース・バッドの他にも、1910年から34年にかけて400人の子供を殺したと供述した。にわかには信じられない数だが、少なくとも15人は殺害していることは間違いないようだ。
アルバート・フィッシュは1870年、ワシントンDCで生まれた。5歳の時に父を亡くし、孤児院で不幸な幼少時代を過ごした。15歳でペンキ屋の見習いとなり、28歳で9つ下の女性と結婚した。物静かで敬虔なクリスチャンだった彼は、6人の子供を可愛がる模範的な市民だった。
ところが、その裏で彼は、密かに貧民街の子供たちを相手に数々の猥褻行為を働いていた。また、手癖も悪く、1902年に800ドルを盗んだかどで逮捕され、2年間服役している。
フィッシュの異常性が顕著になったのは、1917年に妻に逃げられてからである。贖罪を求めて、自らを罰するようになったのだ。子供に頼んで鞭を打たせるなどは序の口で、汚物を食べたり、肛門にアルコールに浸した綿を入れて火をつけたり、陰嚢に針を突き刺したりしていた。左に彼のレントゲン写真があるが、29本の針が陰嚢に刺さったままである。
フィッシュが子供たちを殺害し、食べ始めたのもこの頃からだと思われる。彼は1927年に4歳のビリー・ギャフニーを食べた時の模様を、弁護人のジェイムス・デンプシーに宛てた手紙の中でこのように書き綴っている。
「私は坊やの裸のお尻を、血が流れるまで鞭で打ちました。そして、耳と鼻を削ぎ落とし、口の両側を耳まで切り裂き、目玉をくり抜きました。その時はもう、坊やは死んでいました。
まず腹にナイフを突き刺して、流れる血を飲みました。それからからだを切り刻みました。頭、足、腕、手、膝から下を切断して、それぞれを石を詰めた麻袋に入れて池に棄てました。
好きな部分の肉は家に持って帰りました。まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉でシチューを作りました。たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました。なかなかいい味でした。
お尻の肉は二つに切り分けて、おちんちんと一緒に皿に置き、細かく刻んだベーコンを載せてオーブンに入れました。15分ほど焼いたところで、ソースを作るために半リットルの水をかけ、タマネギを4つ入れました。そして肉が焦げないように、たびたび木のスプーンで肉汁をかけました。
2時間ほどすると、肉はこんがりと焼き上がりました。ぽっちゃりした坊やのお尻のおいしいことといったら、ローストターキーなんか比べものになりません。私は4日かけて、そっくり平らげました。小さなおちんちんはナッツみたいで美味でしたが、睾丸は硬すぎて噛み切れないのでトイレに棄てました」
弁護人は精神異常を主張したが、陪審員は有罪を評決し、フィッシュは死刑を宣告された。陪審員の一人はこのように語った。
「奴はキチガイだとは思うが、電気椅子送りがふさわしい」
これに対して、彼の精神鑑定を担当したフレデリック・ワーサム博士が反論した。
「この男は治療出来ないばかりでなく、罰することも出来ないのです。彼の歪んだ心は、最後に味わう究極の苦痛として電気椅子を待ち望んでいるのです」
事実、フィッシュは電気椅子に座ることを楽しみにしている旨を記者たちに語った。
「わくわくしますよ。まだ試したことがありませんから」
|