移転しました。https://www.madisons.jp/murder/text/duncan.html

 

エリザベス・ダンカン
Elizabeth Duncan (アメリカ)



エリザベス・ダンカン


若き日のエリザベス・ダンカンと息子のフランク


仲のいい母子は人前でもブチュー


反対尋問中の鬼ババア

 理解できない事件である。なにしろ、このダンカンというザマス眼鏡のおばちゃんは、息子を取り戻すために、人を雇って嫁を殺害したのだから。

 1958年11月18日のことである。出勤時間をとっくに過ぎているというのに、オルガ・ダンカンは職場であるカリフォルニア州サンタ・バーバラ・コテージ病院に姿を現さなかった。無断欠勤するような人ではない。同僚の看護婦たちは心配し、家主に電話をして調べてもらうことにした。家主がアパートを訪ねたところ、ドアは開いたまま、電灯もついたままにも拘らず、オルガは部屋にはいなかった。
 家主は夫のフランクに電話を入れたが、彼にも心当たりはなかった(彼は前日は母の家に泊まっていた)。同僚たちは不安になった。オルガは以前から結婚生活がうまく行かずに悩んでいたのだ。妊娠中の彼女はベイビーの誕生を心待ちにしていたので、まさか自殺ということはないだろうが、可能性はないわけではない。フランクも心配し、すぐに警察に連絡して妻の失踪を届け出た。

 オルガが失踪して数週間が経った頃、警察は殺人事件に切り替えて捜査を始めていた。まず疑われたのが夫のフランク・ダンカンだが、彼には動機らしきものがなかった。6月に結婚したばかりで、夫婦仲は至って円満だった。
 オルガが悩んでいたのは、夫ではなく、姑との関係であった。そこで警察は姑のエリザベス・ダンカンを事情聴取に呼び出した。

 エリザベス・ダンカンは余り評判のいい女ではなかった。次々と若い男を誘惑しては結婚し、別れた夫たちからも生活費を貰って優雅に暮らしていた。
「結婚した男は20人くらいかしら」
 などと自慢する彼女の正確な結婚回数を知っている者は誰もいなかった。
 また、彼女は息子のフランクを溺愛していることでも知られていた。息子が成人してからもベッドまで朝食を運んでいたほどで、近親相姦を噂する者もいた。手をつないで歩いているところもしばしば目撃されていた。

 事情聴取されたエリザベスは、開口一番、2人のメキシコ人から脅迫されている旨を訴えた。
「どうして脅迫されたのですか?」
 と問いただすと、
「あたしを殺すと脅迫された、脅迫された」
 と繰り返すのみで、まったく話が進まない。
 これじゃ埒が明かないと思った警察は、彼女の身辺調査を始めた。そして、事件の3ケ月ほど前の8月7日、姑息な手段で息子夫婦の婚姻を取消そうとしていたことを突き止めた。彼女自身が図々しくも新妻のオルガになりすまし、ラルフ・ウィンタースタインという男を息子に、友人のエマ・ショートをオルガのおばに仕立てて、婚姻取消の申請を行っていたのだ。警察がエマ・ショートを追求すると、彼女の口からトンデモない供述が飛び出した。エリザベスが2人の男を雇って嫁を殺したというのだ。エリザベスが「脅迫された」と訴えたメキシコ人がその2人だったのだ。

 事の発端は1957年11月に遡る。エリザベスが睡眠薬の飲み過ぎでサンタ・バーバラ・コテージ病院に運ばれた。美容院を買うの買わないので息子と揉めて自殺を図ったのだ。この時にエリザベスを担当した看護婦がオルガだった。一目惚れしたフランクは彼女をデートに誘い、その仲は次第に親密になって行く。これに嫉妬したエリザベスは、オルガに関する根も葉もない噂で息子を焚きつけ、「あんな性悪女とつきあうんじゃないよ」と説得した。それでも息子はオルガと結婚した。エリザベスは怒り狂い、地元紙にこのような公告を出した。
「私は本日、1958年6月25日以降、母であるエリザベス・ダンカン以外の者による契約に基づく債務は一切負わないことをここに宣言します。フランク・ダンカン」
 やがて2人の新居を突き止めたエリザベスは、玄関のドアをガスガス蹴って喚き散らした。
「息子を返せ。息子を返せ。息子を返せ。息子を返せ」
 こりゃノイローゼにもなるわ。
 そして、婚姻取消を企んだが失敗に終わり、遂にオルガの殺害を決意したのであった。

 知人からルイス・モイヤ・ジュニアオーガスティン・バルドネードという2人のメキシコ人の若者を紹介してもらったエリザベスは、6千ドルの報酬でオルガの殺害を依頼した。金に困っていた2人は話に乗り、前金の175ドルを受け取った。
 11月17日午後11時30分頃、2人は「お宅の旦那さんがバーで酔い潰れていたので連れて来ました。運ぶのを手伝っていただけませんか」とオルガを外に連れ出して、銃で脅して誘拐した。そして、銃で頭を殴って殺害した…かに思われたが、彼女はまだ死んでいなかった。そこで銃で撃とうとしたのだが、さっき殴った時にリボルバーが壊れてしまった。仕方がないので首を絞めて殺害した…かに思われたが、それでも彼女は死ななかった。にも拘わらず、彼女はそのままハイウェイ脇に埋められた。つまり、オルガは生き埋めにされて死んだのである。殺し屋がシロウトだと苦しみ抜いて死ぬことになる。恐ろしいことである。

 仕事を終えた2人は残金を貰いにエリザベスのもとを訪れたわけだが、手渡されたのは200ドルの小切手だった。約束が違う。怒り狂った2人は「残金全額を耳を揃えて支払え。さもないとぶっ殺す」と脅迫した。ところが、エリザベスの方が一枚上手である。
「今日、警察であなたたちの写真を見せられて、いろいろと質問されたんだけど、黙っておいてあげたわ」
 こう切り返したのである。これには2人はビビってしまった。エリザベスは続けて、
「だから今、あなたたちに高額の小切手を切るのはヤバいのよ。警察にマークされてるから。判るでしょ? 熱りが冷めるまで待ってちょうだい」
 しかし、エリザベスには支払う気は毛頭なかった。誠に狡猾な糞ババアである。
 そんな狡猾なババアが犯した唯一のミスは、エマ・ショートを殺害計画にも巻き込んだことである。彼女の供述により2人のメキシコ人の名前が割れ、ババアも逮捕されるに至ったのだ。

 エリザベスとその下請けはオルガ殺しで有罪となり、1962年8月8日、サン・クエンティン刑務所のガス室で3人揃って処刑された。愛する妻とまだ見ぬ我が子を無惨に殺害されたフランクは、最後の最後まで母親の無実を信じていたという。愚かなり。


参考文献

週刊マーダー・ケースブック49(ディアゴスティーニ)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


counter

BACK