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ドクター・ド・カプラニー
Dr Geza de Kaplany (アメリカ)



『ド・カプラニー医師の裁判』

 ハンガリーからの亡命者である36歳の医師、ゲザ・ド・カプラニーは、カリフォルニア州サンホゼの病院で麻酔医として働いている時に魅力的な女性と出会った。ハイナ・ピラー。ミス・コンテストで優勝したこともあるモデルである。11歳も年下だったが、彼は一目惚れしてしまった。そして、遂に口説き落とすことに成功した。
 ところが、2人の新婚生活は1週間もしないうちに破綻した。カプラニーは性的に不能だったのだ。ならば妻など娶るなよ、とボヤきたいところだが、もう結婚しちまったのだから仕方がない。ハイナは誰にも秘密は漏らさない旨を誓ったが、カプラニーは次第に懐疑的になり、やがて彼女がマンションに住むすべての男と関係しているとの妄想を抱くようになったというから困ったものだ。

 1962年8月28日、カプラニーの住むマンションでは早朝からレコードプレイヤーが奏でる大音響が鳴り響いた。隣人たちはあまりのことに廊下に顔を出した。カプラニー先生の部屋だ。しかも音楽の合間に女の悲鳴が聞こえてくる。隣人たちはドアを叩いた。

 せんせー。せんせー。
 しかし、返事はなかった。遂には警察が呼ばれた。到着する頃には音楽は止んだ。カチャリという音と共にドアが開くと、そこには下着姿にゴム手袋で血まみれのカプラニー医師が、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて立っていた。ベッドの上では、ハイナが血の海の中で横たわっていた。
 カプラニーはハイナの手足をベッドの支柱に縛りつけると、メスでめった切りにし、その傷口に硫酸、塩酸、硝酸を注ぎ込んだのだ。彼女が悲鳴を上げるたびにステレオのボリュームを大きくした。そして、仕上げとして顔、胸、性器を重点的に切り裂いた。ベッドの横には処方箋用紙が落ちていた。そこにはこのように書かれていた。
「生きていたければ、大声を上げてはいけません。私の指示に従わなければ、死ぬことになります」

 ハイネは36日間苦しみ抜いた末に死亡した。死の間際には、枕元に付き添う母親が「神様、どうか娘を早く楽にしてあげて下さい」と祈っていたというから凄まじい。
 逮捕された時、カプラニーはこのように弁明したと云われている。
「殺す気はありませんでした。ただ、彼女の美貌を奪えばそれでよかったんです。浮気しないようにしただけなんです」

 1963年1月14日、カプラニーの裁判が始まった。「心神喪失による無罪」を主張していたカプラニーは、当初は平静を保っていたが、現場の証拠写真、特に肉が爛れて骨が剥き出しになったハイナの写真を見せられると錯乱状態に陥り、
「やめてくれ! お前は俺の女に何をしたんだ!」
 と叫び出した。
 はあ? 何を戯けたこと抜かしとんねん、こいつ?
 精神鑑定の結果は「妄想型精神分裂症」とも「多重人格」とも云われたが、芝居がかったところもあるのも事実である。結局、「医学的には異常だが、法的には正常」と判断されて、終身刑を宣告された。
 13年後の1976年に仮釈放されたド・カプラニー先生は、台湾に渡って「心臓病の専門家」として働いているそうである。とぼけた奴だぜ。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『情熱の殺人』コリン・ウィルソン(青弓社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『愛欲と殺人』マイク・ジェイムズ著(扶桑社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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