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ドクター・クリッペン
Dr. Hawley Harvey Crippen (イギリス)



ドクター・クリッペン

 谷崎潤一郎は1927年に発表した『日本に於けるクリップン事件』の中でこのように述べている。

「マゾヒストの夫、ホーレー・ハーヴィー・クリップンは、彼が渇仰の的であったところの、女優で彼の細君なるコーラを殺した。コーラは舞台名をベル・エルモーアと呼ばれ、総べてのマゾヒストが理想とする、浮気で、我が儘で、非常なる贅沢で、常に多数の崇拝者を左右に近づけ、女王の如く夫を頤使し、彼に奴隷的奉仕を強いる女であった。(中略)
 私は読者諸君に向って、此の事に注意を促したい。と云うのは、マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びは何処までも肉体的、官能的のものであって、毫末も精神的の要素を含まない。人或は云わん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、翻弄されただけでは快感を覚えないの乎。手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないの乎と。それは勿論そうとは限らない。しかしながら、心で軽蔑されると云っても、実のところはそう云う関係を仮りに拵え、恰もそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、云い換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。(中略)ほんとうに奴隷にされたらば、彼等は迷惑するのである」

 つまり「本当に奴隷にされたからクリッペンはコーラを殺した」と云うのだが、谷崎がこの事件を自著『痴人の愛』に準えて理解している点が興味深い。確かに、本件は構造的に『痴人の愛』によく似ている。しかし、ことコーラに関しては谷崎は美化し過ぎている。コーラは「常に多数の崇拝者を左右に近づけ」るほど魅力ある女性ではない。ぶくぶく太ったおばはんである。



コーラ・ターナー

 本件の主人公、ホーリー・ハーヴェイ・クリッペンは1862年、ミシガン州コールドウォーターに生まれた。「ドクター」とされているが、働いていたのはホメオパシーの病院であり、正規の学位を持っていたかは疑問である。それはともかく、ニューヨークの診療所で働いていた頃にコーラ・ターナー、本名クニングード・マカモツキーという19歳のポーランド娘と出会う。これがそもそもの間違いだった。

 コーラ・ターナーは、伝えられるところによれば、なんだかトンデモない女である。大した才能もなく、容姿も人並みだったにも拘わらずオペラ歌手を志望していた。しかし、男に取り入る才能だけはあるらしく、ストーブ製造会社の社長を「パパ」にして、アパート代やら衣装代、歌のレッスン料やらをせしめていた。そんな時にクリッペンと出会った。この貧相な三十路男の何処に彼女が惹かれたのかは永遠の謎だが、とにかく彼女はパトロンを乗り換えた。
 コーラに関しては、褒める記述は本当に皆無である。中でも『恐怖の都・ロンドン』におけるスティーブン・ジョーンズの記述が最も辛辣だ。

「二人の写真を見比べてもらいたい。医者は痩せて、神経質そうである。妻は見るからに騒がしくて無神経で、普通の女の倍はあるかと思われるほど太っている。が、自分では美人のつもりで、気取ったポーズなど取っている。それが却って、彼女の内面の卑しさを表現している。二人を見比べるなら、女房の尻に敷かれる亭主というか、そんな関係を嫌でも連想すると思う。そして、二人はまさに、その通りの関係であった。いや、それ以上だった。蜘蛛の雄と雌に譬えてもいい」

 1890年代のニューヨークは不況風が吹いていた。治療費を払えない者が続出し、クリッペンの収入も当然の如く減っていた。このままでは歌のレッスンもままならなくなることを案じたコーラは、夫にインチキ薬の販売に鞍替えすることを熱心に勧めた。クリッペンにとっては屈辱的なことだったが、背に腹は変えられない。診療所を辞めて、ミュニヨンという名の自称「教授」が経営するインチキ会社に就職した。
 ここでのクリッペンの成績は極めて優秀だったらしい。1年も経たないうちにフィラデルフィア支店を任されるようになった。そして、1897年には1万ドルという破格の年俸でロンドン支社長に抜擢された。

 一方、共にロンドンに渡ったコーラはというと、オペラ歌手は諦めてミュージック・ホールの人気者を目指していた。しかし、何の実績もない彼女に仕事がある筈もなく、夫が札ビラを切り、熱心に売り込んだおかげでようやく実現した公演も大不評のうちに1週間で打ち切られた。嘆きのコーラはヤケ喰いをしてぶくぶく太り、夫に八つ当たりするようになった。
「あんたに甲斐性がないから、あたしが人気者になれないのよ!」
 そして、酒に溺れ、愛人を作って遊び呆けた。家計は火の車だが、更なるピンチが彼らを襲った。女房の道楽に蕩尽していることがバレて、支社長をクビになってしまうのである。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことである。



男装したエセル・ル・ニーヴ

 さて、ここで3人目の登場人物が登場する。エセル・ル・ニーヴである。
 支社長をクビになったクリッペンは、別のインチキ会社に身を置いたり、自らインチキ薬を「発明」して売り歩いたりして糊口を凌いでいたが、1901年に「耳の後ろに貼るだけで聾が治る」という膏薬を販売している会社の嘱託医となる。そこでタイピストをしていたのが、当時17歳のエセルだった。クリッペンはたちまち恋に落ちた。そして、この会社が詐欺で告発されて倒産したのを機に、彼女を助手として引き抜き、歯科医を開業したのである。
 コーラとの対比から、エセルを「癒し系」のキャラクターとする記述もあるが、その実際は、若い頃のコーラによく似た性格だったらしい。コリン・ウィルソンも『情熱の殺人』の中でこのように記している。

「エセルは極めて支配的な性格の持ち主で、これがクリッペンを魅惑したと考えられる。この男は、女性関係ではマゾヒストの気があった。コーラに愛人がいることが判っても離婚しなかったり、次々と男をベッドに引きずり込んでも平気でいたのは、そのためだろう」

「結婚するまではきれいなからだでいたいの」などと、不倫しておきながら戯けたことを云うエセルとベッドを共にするまでに、クリッペンは5年間もおあずけを喰らう。ほとんど『ベイビー・ドール』である。否。あれは20歳になるまでのおあずけだから、こちらの方がよっぽど長い。つまり、5年もの間、クリッペンは女房に虐げられ、愛人からはおあずけにされて、悶々とした日々を送っていたのである。信じられない話だが、マゾヒストにとっては夢のような日々だったのかも知れない。とにかく、エセルは離婚を約束させることで、ようやくからだを許したのだった。1906年12月6日のことである。

 一方、エセルの存在に気づいたコーラは、当初は無関心を装っていたが、次第に憎悪を剥き出しにして行った。そんな折、エセルが流産した。これを知ったコーラは、
「誰の子だか判ったもんじゃないわよ」
 などとミュージック・ホールの仲間たちに吹聴して回った。この直後の1910年1月19日、クリッペンは馴染みの薬局で猛毒のヒヨスチンを買い求めている。自らの意思だろうか? 否、そうではないだろう。おそらく、エセルに唆されたのだろう。



コーラの一部の埋葬現場

 コーラの姿が最後に目撃されたのは1月31日の晩のことである。翌日、クリッペンはコーラの指輪とイヤリングを質に入れ、エセルはクリッペンの家に住み着いた。その翌日、ミュージック・ホールのギルドにコーラからの手紙が届いた。辞職願いだった。理由は「親類急病のための渡米」。そして3月24日、コーラの友人のもとに彼女の死亡通知が届いた。
 胡散臭さフルスロットルである。友人たちは警察に捜査を依頼した。尋問されたクリッペンはこのように弁明した。
「実はコーラはまだ生きています。私を捨てて、シカゴで愛人と暮らしているのです」
 コーラに愛人がいたことは周知の事実だ。警察も納得しかけていた。

 ところが、クリッペンはここで過ちを犯す。そのまましらばくれていればよかったものを、エセルと共に逃亡したのである。これを知った警察は、早速クリッペンの家を捜索。地下室にある石炭置き場の床下から人間の胴体を掘り起こした。頭と手足は見つからなかった。ただ、骨を抜き取られた胴体だけが石灰と共に埋められていたのである。

 一方、クリッペンはというと、男装させたエセルを連れて、カナダ行きの蒸気船モントローズ号に乗り込んでいた。父子を装っていたのだが、誰の眼から見ても女であることはバレバレだった。船長は瞬時に2人がお尋ね者のカップルであることを見破った。実用化されたばかりの無線電信は直ちにスコットランド・ヤードに情報を伝え、2人は入港と同時に、別の船で先回りしていた警察に逮捕されたのであった。
 嗚呼、科学の勝利。文明の御代。

 クリッペンの2つ目の過ちは、アーサー・ニュートンという山師を弁護人にしたことだった。逮捕直後で気が動転していたクリッペンは、その場で弁護を買って出たこの男を疑うことなく雇い入れてしまった。しかし、ニュートンの目的は銭儲けで、被告人の無罪ではなかった。後にクリッペンの「自白」を捏造して新聞社に売ったかどで刑務所送りになるニュートンが取った主張とは、
「地下室の死体は、以前の居住者が埋めた誰か別の女性のものである」
 稚拙且つ杜撰な戯言で、誰が見ても自爆だった。素直に罪を認めていれば情状酌量の余地もあっただろうに、無罪を主張したばっかりに死刑を宣告されたのだった。

 クリッペンの唯一の功績は、愛するエセルを無罪放免にすることができたことだろう。1967年に84歳で天寿を全うした彼女の夫は、クリッペンに似ていたそうである。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『情熱の殺人』コリン・ウィルソン(青弓社)
週刊マーダー・ケースブック16(ディアゴスティーニ)
『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『潤一郎ラビリンスII/マゾヒズム小説集』谷崎潤一郎(中央公論社)


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