マルセル・カルネの『天井桟敷の人々』にも登場する詩人きどりの犯罪者ピエール・フランソワ・ラスネールは、悪であることに美学を見い出し、ギロチンで処刑されることを夢見るロマンチストだった。だからこそ彼はやってもいない罪まで認めて、その首を差し出したのだ。ギロチンで処刑されることで彼の美学は完成されたのだ。1836年のことである。
時は流れて1967年、ギロチンによる処刑を熱望するもう一人の犯罪者が現れた。クロード・ビュッフェという立ち喰い食堂のような名前のこの男は、元傭兵のゴロツキに過ぎなかったが、同年1月17日、ひったくり被害者の抵抗に対して発砲、強盗殺人の容疑で逮捕された。法廷でビュッフェは弁護人を無視して「死刑にしてくれ」の一点張りだ。ところが、判決は終身刑。落胆した彼は退廷の際に叫んだ。
「また殺るからな! 必ず殺るからな!」
そして、本当に殺ったのである。クレールヴォー刑務所に収容されたビュッフェは1971年9月21日、ロジェ・ボンタンという囚人仲間と共に脱獄を企て、看護婦と看守を殺害したのだ。
「俺は己れを殺すために人を殺したんだ。キリスト教徒には自殺は許されないからな」
これがビュッフェの主張だったが、災難なのは相棒のボンタンである。フランスの法律では共犯者は同じ罪に問われるのだ。弁護人はボンタンだけでも救おうと努力したが、ことさらに悪態をつき、必死で心証を悪くしようとしているビュッフェの前には奏功しなかった。検事が死刑を求刑すると、ビュッフェは歓喜のあまりに被告席の上に立って叫んだ。
「ブラボー、検事!」
死刑の判決が云い渡されると、判事にキッスする勢いだった。もちろん上告する権利を放棄して、大統領に手紙を書いた。
「もし恩赦などしたら、また殺す」
かくして念願のギロチン刑に処されたビュッフェは、最後には失望して死んでいった。彼は仰向けに寝て、ギロチンの刃が落ちてくるところを眺めながら死にたかったのだ。しかし、この我が儘は聞き入れられず、ビュッフェはほっぺを膨らませながら斬首された。
自殺願望者というよりも、単なる変態だったのである。変態プレイに付き合わされて、共に斬首されたボンタンはつくづく不憫だ。浮かばれまい。
|