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ジェリー・ブルードス
Jerome Henry "Jerry" Brudos (アメリカ)



ジェリー・ブルードス

 最近は「フェチ」が日本語として通用しているが、私が十代だった頃はまだ通用していなかった。辞書を引いて「物神信仰」と云われても意味が判らず、谷崎潤一郎の初期短編、女の脚に顔を踏まれることを何よりの喜びとする男の話(『富美子の足』)を読んで初めて「ああ、これがフェチなのか」と理解した。潤ちゃんの場合はマゾヒスト型のフェチであるが、サディスト型のフェチも当然存在していて、その最も極端な症例が、このジェリー・ブルードスである。

 極めて早熟な男である。ブルードスがハイヒールに興味を持ったのは僅か5歳の時だった。ゴミの山でそれを見つけて、家の中でカポカポと歩いて遊んでいたという。一見、微笑ましい光景だが、後のことを考えれば、恐ろしい光景でもある。
 やがて思春期を迎えると、その傾向は顕著になった。他人の家に侵入し、ハイヒールと下着を盗むようになった。17歳の時、若い女をナイフで脅して服を脱がせ、写真を撮ったことで逮捕された。精神病院に9ケ月収容され、「人格障害の初期段階」と診断されたが、完治することなく釈放された。

 高校を卒業し、大学に進学したブルードスは、しばらくは順調に暮らしていた。ところが、陸軍を医師の診断により除隊させられてしまう。この挫折が、彼を再び背徳の道へと誘ったように思えてならない。
 電気技師になったブルードスは、23歳の時に6つ下の女性と結婚する。「できちゃった結婚」(イヤな言葉だ)であったらしい。2人の子供をもうけるが、その異常性は家庭にも及んでいた。家の中ではいつも裸でいることを妻に強要し、その姿を撮影して喜んだ。そして、自らも女の下着を身につけて、カメラの前でポーズをとったのである。

 このままで終われば単なる変態おじさんに過ぎなかったのだが、1968年1月、彼は遂に殺人を犯す。百科事典の訪問販売をしていたリンダ・スロースンを殺害したのである。オレゴン州ポートランドにあるブルードスの家を彼女が訪問した時には、運の悪いことに、彼の妻と子供たちは外出していた。言葉巧みにガレージに誘い込んだブルードスは、彼女を殴って気絶させ、首を絞めて殺害した。そして、己れの下着やハイヒールのコレクションを死体に身につけさせたのである。ひとしきり楽しんだブルードスは我に帰り、死体を始末しなければならないことに気がついた。しかし、このまま棄ててしまうのはもったいない。左脚を切断し、ガレージの冷蔵庫に保管した。残りの死体を川に棄て、帰宅するや左脚にハイヒールを履かせてニヤついた。

 10ケ月後、ブルードスは再び殺人を犯す。ジャン・ホイットニーは車内で首を絞められて、冷たくなってガレージに運ばれた。ブルードスは遺体を犯すと、今度は右の乳房を切断した。残りの死体を川に棄て、帰宅するや乳房を取り出し、プラスティックで型を取った。

 ブルードスの殺人への衝動は強まるばかりだった。次の犯行は4ケ月後、最後の犯行はその1ケ月後である。殺害後の行為もエスカレートしている。カレン・スプリンカーを殺害した時は両方の乳房を切断した。リンダ・サリーに至っては、死体に電流を流して反応するかどうかの実験を行っている。

 1969年5月25日、ブルードスは逮捕された。オレゴン州立大学では以前から学生をナンパする男が目撃されており、それがブルードスだった。相次ぐ失踪事件の犯人ではないかと疑われて、通報されたのである。尋問の結果、異常な犯行の数々を自供したが、ガレージを捜索した警察は、それが誇張でもなんでもないことを確認した。犠牲者が苦しみながら死んでいく様や、死体を弄ぶおぞましい光景を撮影した写真も押収された。
 ブルードスは精神異常を主張したが、有罪となり終身刑を宣告された。今でもオレゴン州立刑務所に服役中である。


註:この記事を執筆した直後の2006年3月28日、ブルードスは肝臓がんのために死亡している。67歳だった。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)


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