デュッセルドルフと云えば「デュッセルドルフの吸血鬼」ことペーター・キュルテンが有名であるが、彼と並び称される怪物がもう一人いる。ウェルナー・ボーストである。
1953年1月7日の大雪の晩、高名な弁護士ロータル・セルベはデュッセルドルフ郊外へと通じる静かな道で車を止めて、助手席に座る金髪の青年、アドルフ・フレクレマーと商談を始めた。ここでいう「商談」とは、もちろん、あっちの方の商談である。すると、暗闇の中から突然に覆面をした2人の男が現れて、ドアを開けるやセルベの頭を打ち抜いた。フレクレマーが悲鳴をあげると、頭を殴って気絶させた。
セルベの遺体からは財布が抜かれていた。動機はどうやら物盗りのようだ。指紋もなければ足跡もない。雪がきれいに消してしまった。この件は迷宮入りかと思われた。
3年後の1955年10月31日、1組のカップルが失踪した。26歳のパン職人、フリートヘルム・ベーレと、23歳の婚約者、テア・キュルマンである。2人はレストランを出た後、行方不明になっていた。
11月28日、デュッセルドルフ郊外の砂利採掘場の穴の中に車が落ちているのが発見された。中には2人の腐乱死体があった。ベーレは至近距離から頭部を撃たれていた。キュルマンは強姦されて絞殺された。共に財布を抜かれていた。
ロータル・セルベの事件とそっくりである。警察は同一犯と認定した。
1956年2月7日、ペーター・ファンケンベルクという青年と、23歳の恋人ヒルデガルト・バッシンクが行方不明になった。翌朝、届け出から1時間後に、座席が血みどろの車が乗り捨てられているのが発見された。その翌朝、デュッセルドルフ郊外で、燃え残った干し草の山の中から黒焦げの男女の死体が発見された。それは行方不明の2人であった。ファンケンベルクは頭部を撃たれ、バッシンクの首にはロープが食い込んでいた。
それから間もない6月6日、メールブッシュ近くの森で森林警備員が不審な男を見つけた。茂みに潜むその男は、近くに停められた車の中で抱き合う男女を覗き見していた。やがて、男はポケットから拳銃を取り出し、車に近づいていった。
「銃を捨てろ!」
森林警備員が叫ぶと、男は振り向き、銃を捨てて逃げ出した。薮の中に逃げ込もうとしたが、間もなく捕縛された。
ウェルナー・ボーストと名乗る28歳のその男は、嫌疑にも拘らず、実に落ち着き払っていた。
「自分は射撃の練習をしていただけなんですよ。それが突然、後ろから脅されて…。撃たれると思って逃げ出したんです。むしろ被害者は私ですよ」
悪びれる様子はまるでなく、この男を落とすのは極めて困難と思われた。彼が乗っていたオートバイが盗難品だったため、とりあえず窃盗で逮捕し、証拠を固めることにした。
ボーストの家を捜索した捜査官は、地下室から様々な毒薬や爆薬の材料、そして大量のモルヒネを発見した。東ドイツのハドメルスレーベンの消印がある手紙も捜査官の眼を引いた。彼は東側から亡命者だったのだ。
ボーストは東ドイツの貧しい農婦の私生児として生まれた。子供のうちから盗みを覚え、やがて西側に亡命しようとする人々の手助けをして小遣いを稼ぐようになった。その頃のハドメルスレーベンでは50件を上回る殺人事件が起きている。ボーストの関与の疑いが濃厚である。
1950年には結婚し、自らが西側に亡命した。2人の子供を作り、工場で働き家計を支えていたが、それは表の顔。裏では数々の窃盗を働いていた。射撃の腕もプロ並みであった。
ボーストを落とすことは不可能と悟った捜査官は、共犯者を攻めることにした。弟分のフランツ・ロールバッハである。モルヒネ中毒の彼は、薬が切れるや何もかも自供した。
「ボーストは化け物だ。セルベさんを殺したのはボーストだ。僕は奴に従っただけなんだ」
ボーストはなんとも形容し難い妄想を抱いていた。地下室に隠り、毒物や化学薬品を調合し、殺人に向けた実験を繰り返していた。青酸カリを詰めた風船を飛ばそうとしたこともある。遠隔操作で人を殺すのである。
このような得体の知れない憎悪はいったいどこから生まれたのだろうか? 彼もまた東西分裂の悲劇が産んだ被害者だったのだろうか?
1959年、ボーストは終身刑を宣告された。ハドメルスレーベンの件に関して東側の取り調べも受けたが、これについてはシラを切り通した。
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