ビヴァリー・アリット(逮捕前)
ビヴァリー・アリット(逮捕後)
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「ミュンヒハウゼン症候群(Munchhausen Syndrome)」と呼ばれる病気がある。語源は『ホラ吹き男爵の冒険』の主人公、ミュンヒハウゼン男爵で、要するに、周囲の関心を惹くために、自分を傷つけたり、病気を装ったりする症例のことである。1951年に病院中毒症状の一つとして紹介された。
1972年には、そのバリエーションとして「代理ミュンヒハウゼン症候群(Munchhausen Syndrome by Proxy)」なるものが存在することが指摘された。「代理」とはつまり他人のからだを使うのだ。自分に近しい者を傷つけたり、病気にしたりして、周囲の関心を惹くのである。例えば「自分の子供を病気にして、献身的な母親を演じて注目を浴びる」。他人を加害するのであるから、こちらの方が始末が悪い。
本件の主人公、ビヴァリー・アリットもこの病気を患っていた。そして、彼女の職業は、なんと看護婦だった。
1991年2月23日、イングランド東部のリンカンシャー州グランサムにあるグランサム・アンド・ケスティーヴン総合病院の小児病棟で、生後7週間のリーアム・テイラーが心停止で死亡した。死因は心筋梗塞とされたが、そうなるに至った原因は判らなかった。
リーアムが最初に発作を起こしたのは21日の夜、その日に採用されたばかりの新任看護婦、ビヴァリー・アリットが容態を確認した直後のことだった。治療の甲斐あってなんとか持ち直したが、23日未明、それまで付き添っていたアリットが他の看護婦と交代するや否や病状が悪化、心停止したのである。
その10日後の3月5日、11歳のティモシー・ハードウィックが、アリットが担当になったその日に死亡した。重度の小児麻痺であったため、その発作ということで片付けられた。
ベッキーとケイティのフィリップス姉妹は一卵性双生児の未熟児だった。4月3日、アリットはベッキーの方を指差して云った。
「触診すると冷たいの。低血糖症じゃないかしら?」
他の看護婦には別に異常があるようには見えなかったので、姉妹はその日のうちに退院した。ところが、数時間後の4日未明、ベッキーはベッドで冷たくなっていた。血液を調べたところ、体内のインシュリン数値が異常に上昇していた。
主治医は念のためにケイティを入院させた。その晩、アリットが大声で叫んだ。
「心停止! 心停止!」
緊急処置を施した結果、ケイティは一命は取り留めたものの、可哀想なことに、重度の脳障害を負ってしまった。
4月22日、生後15ケ月のクレア・ペックが喘息で入院した。その夜、アリットがまたしても叫んだ。
「心停止! 心停止!」
緊急処置にも拘わらず、このたびはクレアは助からなかった。
以上の他にも、この2ケ月の間に8人もの子供が原因不明の心停止に襲われて、生死をさまよっていた。これはさすがにただごとでないと、クレアの死因を真剣に調べた主治医は驚いた。体内から「リドカイン」が検出されたのである。強力な麻酔剤で、幼児に使用すると心停止を引き起こす危険がある。誰かが殺意をもって投与したことは明らかだ。
この時点で病院は初めて警察に通報した。遅すぎるって。
警察はこの他にも、3月20日から28日の間に3度も発作を起こした生後5ケ月のポール・クランプトンの件に注目した。3度目の発作の後に大人用の注射器1本分のインシュリンが検出されていたのである。これほど大量のインシュリンが幼児の体内で自然発生することはありえない。やはり誰かが殺意をもって投与したことは明らかだった。
警察は13人の被害者が被害に遭った当日の医療担当者を調べ上げた。そして、すべての被害者に共通する担当者を割り出した。それは、云うまでもないだろうが、ビヴァリー・アリットであった。
アリットのミュンヒハウゼン症候群の症状は子供時代に遡る。よく絆創膏や湿布を貼って教室に現れて、クラスのみんなの質問にしょんぼり顔で答えていた。しかし、怪我はすべて自傷によるものだった。絆創膏はやがて包帯やギブスへとエスカレートしていった。
看護婦学校時代にも原因不明の病気を訴えて、頻繁に授業を休んでいた。そのために出席日数が足りなくなったが、それを補う追試も手首を怪我して延期している。
やがてオカルトに凝りはじめ、あれが見えたとかこれが見えたとか騒ぎ始めた。看護婦寮の壁にウンコが塗りたくられる事件が起こった時には、アリットが犯人ではないかと噂された。
そんなアリットにも恋人ができる。しかし、彼も嘘の餌食となる。
「あの女、誰かれかまわず俺がエイズだって云い触らすんだ。それで、俺にエイズを感染されたって云うんだぜ。俺の子を堕した、なんて触れ回ったこともある。知り合いにレイプされたと騒ぎ出したこともあったけど、警察には行かなかった。あいつは目立ちたいだけなんだよ」
いやはや、実に厄介な女である。
逮捕されたアリットは拒食症を患い(これは本当らしい)、体重が82キロから44キロにまで落ち込んだ。しかし、自傷行為は相変わらずで、右の乳房の異常な腫れを訴えた。調べてみたら、彼女は自分で乳房に水を注入していたのである。
この他にも、虫垂炎を偽って医者に手術をさせたとか、ハンマーで手足を潰して医者に通っていたとか、手術しないと摘出できないほどカテーテルを尿道に突っ込んだりとか、トンデモない病歴が裁判で明らかになった。
結局、ビヴァリー・アリットは4件の殺人と9件の殺人未遂で有罪となり、終身刑を宣告された。謝罪の言葉は一つもなかった。
世界中の注目を浴びて、有頂天だったのだろう。
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