漢方の基本用語について〔4〕
補 瀉
昔から、鍼灸の治療は「虚実と補瀉に尽きる」と言われているが、これは伝統的な鍼灸術における最も重要な課題である。
即ち、我々人間は生まれながらにして個体差を持つ、個々別々の存在である。従って、現わす病症はその条件により、個性の強い特殊性を持っている。故に、それに対応する治療法として、個別治療が厳しく要求されるわけである。
然るに、その治療法は、東西両医学共一般的、画一的に構成されているので、実地臨床の現場においては的中する場合もあり、特に不適切で最悪の場合は、誤治によって頓死せしめることさえもあるのである。
従って、東西両医学共この画一的な治療方式を、いかにして患者の要求する個別治療に合致せしめるかが、臨床上の重要課題である。
かくて、西洋医学においては、進歩したと言われるエレクトロニクスの器具器械を用い、或は化学検査や理学検査を駆使して、相なるべく個別治療に近づき得るよう努力するわけであるが、そのために検査公害が甚だしく、人間不在の医療産業などと非難されている次第である。 経絡治療における「証法一致」と虚実、補瀉 東洋医学の鍼灸はその発祥の初めより、手当てによる個別治療であり仁術である。即ち、永年にわたる貴重な経験を帰納し演鐸して、遂に経絡経穴が発見され、「脉診・証・補瀉」等の治療法が考案されるに至ったのである。これらは東洋文化独特の陰陽五行や気血営衛等の基礎理論によって系統的に整理されて、既に二千数百年の昔に東洋医学の優れた治療体系が確立されているのである。
即ち、数限りない治療体験が人体実験として多くの古典に書き残されており、そこには常に「証法一致」が東洋医学の真髄として貫ぬかれているのである。
これを端的に言い表すと、「虚実を弁えて補瀉する」ということになるのである。故に、伝統的な鍼灸術が過去・現在・未来にわたってその独自性を守り抜くためには、「虚実と補瀉」は絶対に不可欠である。
またこれあるが故にこそ、伝統的な鍼灸術は西洋医学による攻撃的な刺激理念の治療法と明確に区別されるのである。即ち、それによってこそ病名治療と生命力の強化との明らかな分別が確立されているのである。『素問通評虚実論』には、「邪気盛んなる時は実す、精気奪うる時は虚す」と明記されており、虚実とは大小、強弱などの如き相反する概念ではない。
従って、これに対応する補瀉とは、「生気の不足を補うことが補法であり、生気の働きを妨害する邪気を取り除く事が瀉法」なのである。
即ち、補瀉共に生気、真気にいかに対応するかがその治療目的である。従って、その根本理念は補瀉共に、これを受ける病態の内部条件を綿密に考察しなければならないのである。そこでは「証法一致」が強く要求されるのである。1.その他の古典手法について
東洋医学は数千年に及ぶ伝統と、東洋全域という広範な地域を背景として発達しているので、その時代や民族の風俗習慣などにより、数多くの流派が続出している。故に、かかる情勢下に存在する雑多な医学古典にその手技手法を見る時は、誠に多種多様、そのいずれを取るかに迷う次第である。
そこで夢分流の打鍼術や、やきばりの如き特殊な鍼法はさておき、ここでは毫鍼を中心に書くことにする。
『霊枢』の官鍼第七には、患者の現す病状に従うべき用鍼のことが述べられており、りI、員鍼、鍼、鋒鍼、~鍼、員利鍼、毫鍼、長鍼、大鍼、の九種類の鍼を、その特徴によって適宜適切に使い分けるよう述べている。またこれを用うる方法として、五蔵に対する五刺、九変に応ずる九刺、十二経に対処する十二刺等の方法を述べている。そのほか各所に種々なる方法が散見されるが、霊枢時代と現代では大きく社会事情を異にするので、これらの九鍼の用い方や、五刺、九刺、十二刺などは、かつて古人の鍼法に対する努力の歴史を語る参考資料とすべきであろう。専門的に研究されたい方は、原典について更に詳しく学ぶことをお勧めする。これらの原典の手法は、更に下って中国の唐、宋時代に種々な手法を生み、明の『鍼灸聚英』には竜虎交戦術などと特殊な鍼法が記載されている。ついで我が国に伝来するに至り江戸時代には杉山流の管鍼術が考案され、その流派の中にも三部書記載以外に秘伝書として、辰の巻、竜の巻、虎の巻等が伝えられ、その中には百八十種類にも及ぶ手法が述べられているというが、果たしてどこまで信じてよいか疑わしい。
現在中国においては、「得気」が重要視され、酸、脹、重、麻などとて通電法にまで及んでいるが、これらは大きく気の調整を逸脱しているのではないかと思案される次第である。筆者はかつて駆け出しの頃、小椋章道氏に師事し、四傍天鍼術、人鍼術、地鍼術等のご指導を受け大変苦労したが、経絡治療に従う今ではあまり必要がない。
かくの如き多種多様な手技手法の中から、経絡調整においても考えなければならない手法を、次の六項目に絞って記すことにしよう。(1)呼吸の補瀉
これは患者の呼吸に合わせて鍼を抜き刺しする方法である。即ち、全身の組織はその患者の呼吸に従って締まり、或は緩むので、それに合わせて鍼を抜き刺しするというのであるが、それだけでなく、気の動きに従う心構えが大事である。
古典では呼気に鍼を入れ、吸気に鍼を出すを補法とし、吸気に鍼を入れ、呼気に出すを瀉法としている。しかし、その心構えとしては組織との関係だけでなく、気の虚実を考えて手法を行えと言っているのであるから、手足の五行穴に対する施術も、この呼吸の補瀉の原則に従って鍼を刺抜しなければならない・・・。と同時に、術者もそれに合わせて息を吸ったり吐いたりすべきである。(2)迎随の補瀉
これは「迎えて奪うを瀉と云い、随って補うを補と云う」との原典の言葉がその出所であるが、実地臨床上は狭い意味に解釈し、経の流れに逆うを瀉法とし、経の流れに随うを補法とするのである。
しかし、この経の流れそのものが古典により甚だ不確定であるが、我々は十四経発揮の流れを基準に臨床実践するのである。(3)提按、開闔の補瀉
これは本間氏の経絡講話によると、「補法は前揉撚を行なって刺入し、鍼口を閉じるようにして抜鍼し速やかにあとを閉じる。瀉法は鍼口を開けるようにして刺入し、抜鍼後はそのままにして邪気を泄らすようにする」とあるが、この文章をそのまま鵜呑みにすると誠に味気ない手法となるので、前に述べている補法、瀉法の項をもう一度読み直されたい。
これは、本治法の手技中最も大切な事項である。更には「実地臨床上の補瀉」においても、押手と刺手の果子役割は補瀉の枢要点になっている。(4)弾爪の補瀉
これは一種の催気のテクニックで、補法の際、気を導こうとする時、刺入した鍼の柄を爪で軽く微妙に弾くと、気が充実して来るのを感じる。瀉法にはあまり用いないが、強く弾くと鍼口から気が泄れて瀉法になる。
また一説には、刺入前その穴所を爪にて圧したり、弾いたりするを言うこともある。このほか催気の方法として、ひねりを重要視する流派もある。(5)出入の補瀉
これは鍼を刺入する時のテクニックであるが、先にも補法、瀉法の項で詳しく述べたとおり、「補は之に随ふ、之に随ふの意は妄に之くが如し」で、組織の抵抗に全く逆わぬよう、圧したり戻したり留めたり回したりなどしながら、全く自然無抵抗に刺入するのである。
瀉法はある程度速やかに鍼を入れ、刺抜やひねり等を行なって、正気と邪気を分けて鍼を抜去するのであるが、粗暴になると正気を損じ、不快な感じを与えるので注意を要する。(6)灸の補瀉
灸には鍼ほどの厳格な補瀉はないが、一応これを記すと、補は温和な熱感を徐々に与える。瀉は急激に強い熱感を与えるようにするのである。即ち、補法は柔らかな小灸を数多く徐々に燃焼せしめ、瀉法は固くひねった大きめの艾を急に燃焼せしめるのであるが、時に吹く事もある。 以上の六項目は、古典手法の中から極めて一般的なものを纏めたのであるが、このほか流派によって、種々異なることは前に書いたとおりである。