短評のページ

佐野哲也・最上愼一 写真による二人展
moving+still

さいとうギャラリー(中央区南1西3 ラ・ガレリア)
2000年12月12日から17日

 札幌の写真家二人が、人間をテーマに撮ったモノクロの写真。

 いきなり個人的な話で恐縮だが佐野さんの「1992ムーサの恋人たち」は、8年前に北見で見ているので懐かしかった。基本的にはバブル景気と無関係だった北見だが、ちょっとあの時代の風が届きかけていた地方都市のディスコに集う若者たちの姿をスナップした連作。スピード感が心地よい。

 最上さんは今年10月13日小樽で撮った「NAVY in OTARU」。空母キティホークで小樽を訪れた兵士たちの素顔を活写している。繁華街を歩く女子高生や、空母反対デモなどもきちんととらえて、その日の小樽の街の空気感とそこに生きる人々を大づかみにとらえようという姿勢に好感を持った。

 


「NAVY in OTARU」の1枚。トリミングが下手ですいません

高嶺 格(ただす) 冬の海

CIA(中央区北1西28)
12月8日から17日(16日午後2時からアーティストトークがあるそうです)

 アーティスト・イン・レジデンス招聘作家の第5弾。
 粘土約500キロを使った大インスタレーション。棚田の模型のようでもあり、幻想の動物園のパノラマのようでもあり、池の部分には色水がたまっていて、なんとも不思議。CAIの空間をこれだけフルに使ったのは初めてじゃないかと思う。見る者のイマジネーションをどこまでも膨らませる力作。

 本人には会えなかったのですが、なんでも現代舞踏のダムタイプと一緒に活動したり、けっこうガンバッテいる人とのことでした。

D.HISAKO展

札幌市資料館(中央区大通西13)
2000年12月12日から17日

 気になっていた人だった。ダイレクトメールはあまり配らないし、個展は1996年以来毎年のように開いているようなのに、都心からやや外れた同館ばかりで、しかもいつ訪れても本人がおらず、どんな人なのかまったく情報が無かったのだ。

 絵はいつも、題が付いていない油彩の小品ばかり。後ろ姿の猫と、空に浮かぶ小さな月。ほかには地平線や木々があるばかり。シンプルな構図。寒色を中心とした深い色。単純な繰り返しや通俗に陥らず、しんとした孤独感に満ちている。夜明け方に、知らない土地を歩いている長い夢から覚めたときのような、そして、自分の存在の根本的な寂しさに思いをはせたときのような。

 今回初めて本人にお会いした。自宅で独りで絵をかいている孤独感が絵に反映しているのだと言っていた。しかし、作品はすべて売約済みというから驚きだ。次回個展は来年7月とのこと。


長倉洋海写真展

フジフォトサロン(中央区北3西4)…2000年12月20日まで
キヤノンサロン(北区北7西1)…12月23日まで 

 フジは「アフガンの大地を生きる」、キヤノンは「コソボ」。
 いずれも、内戦のやまぬ土地の人々に迫った力作。会期などはっきりしなくてごめんなさい。16日にはスライドショーが札幌で開かれたそうで、行きたかった…。

 彼の写真はジャーナリズム的なものだし、そういう語られ方、つまり、戦争の悲惨さを訴えているとか、子供の屈託ない笑顔は世界共通だとかという感想を作品の方も望んでいるように見えるが、それがもっともだということを認めたうえで、あえてちょっと違ったことを言いたくなった。とくに「アフガン」の方は、ずいぶん「ハードエッジ」な写真だなという印象を持った。素人の見方になるけれど、モノクロでいえば、硬調なのだ。

 これは、焼き方がどうこうという問題ではおそらくなくて、戦火の最前線という土地の張り詰めた空気感を、画面がきっちりとらえているせいだと思う。同時に、例えば、乾いた急斜面が画面全体をすぱっと斜めに横切る「パンシール峡谷。バスとロバが行き交う」に見られるような、大胆な構図のためでもあるんじゃないだろうか。

 面白かったのは「羊の市場で」。画面の中央奥と手前のあいだを小川が流れており、緑色の帽子をかぶった少年が飛び越えている。この飛び方から筆者はカルティエ=ブレッソンがパリ(の、たしかサンラザール駅)で撮った有名な一枚を思い出した。

 あの写真はモノクロだし、逆行だし、少年の方向は反対だし、飛び越えているのは小川ではなく水たまりなのだけれど。まあ、元気な少年というのは、水があると飛び越えたくなるものなのかもしれない。

 そのついでで言えば、コソボで、降ってくる雪を、口をあけて食べようとしている子どもたちを写した一枚があったけれども、子どもというのは元来、雪があれば食べようとする人種なのだ。それは、戦争の中でも同じようなので、私たちをほっとさせる。

 またジャーナリスティックな評言に戻ってしまったけれど…。

 ちょっとショックだったのは「学校が始まった日。コスモスを手に」と題された、コソボシリーズの一枚。中央に少女がコスモスの花束を持ってひとりで立ちこちらを大きなひとみで見つめている。その背後は崩れた門と瓦礫が散乱する。希望と絶望の、鮮やかすぎるコントラスト! 




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