牧師室より

 『聖書を読んだ30人』(鈴木範久著、日本聖書協会刊)から、「田中正造」を紹介したい。田中正造とは足尾鉱毒反対運動に生涯をささげた人物である。1913年、田中は谷中村に帰る途中に倒れ、生涯を終えた。73歳であった。彼はその時に、首に黒い袋をかけて持ち歩いていたという。その中に手帳と共に入っていたのが聖書であった。そのときに持っていた聖書は『新約全書』と「帝国憲法」とともに白糸で綴じてあった『マタイ伝』であったという。彼は肌身離さず聖書を持ち歩いていたのだ。

 彼が聖書に出会ったのは、1902年の獄中であったという。鉱毒被害農民の裁判を傍聴中にあくびをして、40日間の下獄になったというのだ。傍聴中にあくびどころか、抗議のヤジを飛ばした経験もある私としては、驚きである。下獄した田中に聖書が差し入れられた。聖書を差し入れたのは、内村鑑三だという。

 その時の聖書は、田中に大きな影響を与えたようだ。田中は日露戦争を前にして「軍備全廃論」を唱えることになる。そしてその時の思想は、谷中村における、「無抵抗の抵抗」という形で具体化していくことになる。

彼が好んだ聖句は、「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4:4)であったという。人が生きるために、衣食住の大切さを身にしみていた田中が、パン以上に大切なものがあることを感じていたからだと、著者の鈴木範久氏は指摘する。その指摘に付け加えるならば、この聖句は「荒れ野の誘惑」でイエスが悪魔の誘惑を退けた言葉である。国家権力による反対運動への様々な切り崩し攻撃に対し、田中は「荒れ野の誘惑」を重ねていたのかもしれない。

 田中正造研究者の一人、栗林輝夫(2015年召天)は、田中の聖書の読み方に注目した。「(ある時期から田中は)聖書を読むときに、まず学ぶべきなのは徹底して谷中存亡の歴史であると考えるようになった」と分析する。そして「このような田中の方法は出発からしてすでに解放神学の解釈学に近いものがある」と見る。田中正造は、谷中村の人々の傍らに立ち続けるただ中で、聖書を読み、み言葉を受け止めたのだろう。それゆえに彼の聖書の読みは、彼独自の解放の神学なのだと思う。田中のこの立ち位置と精神は、のちに三里塚芝山連合空港反対同盟委員長の戸村一作(いっさく)に引き継がれることになる。戸村もまたキリスト者であった。一作は「イサク」に由来する。

 

参考資料:『日本で神学する』(栗林輝夫著、新教出版社刊)第2章「見よ、神は谷中にあり」

(中沢譲)