牧師室より

 キリスト教音楽は、いつごろ日本に入ってきたのだろうか。そんな疑問から『キリシタン音楽入門』(皆川達夫著、教団出版局)を購入した。  

キリスト教音楽(=西洋音楽)に日本人が接したきっかけは、フランシスコ・ザビエルの来日(1549年)によるとのこと。当時、マルティン・ルターによる宗教改革によって、「守勢に立たされたカトリック側は、改めて信仰の原点にたち返り」、そのことがイエズス会の伝道活動という形になったのだそうだ。

 ザビエルが、大内義隆(山口)に謁見した際(1551年)、小型の鍵盤楽器を贈呈したという。おそらく、その際に演奏されたのが、キリスト教音楽の最初の日本公演だった可能性がある。

 その後、ザビエルは中国に渡り、翌年客死するが、イエズス会の伝道活動は継続し、1552年のクリスマスには、大道寺(山口の南蛮寺)のミサで、3人の外国人神父が聖歌を歌ったとある。この時は、日本人信徒は、歌声を傾聴しただけのようだが、3年後の1555年には、日本人による聖歌隊が存在していて、受難週と復活節の際、日本人による聖歌隊が、「二手に分かれて聖歌を歌い交わした」(九州・大分)そうだ。キリスト教文化(西洋文化)が、ある勢いをもって、西日本地方に浸透していたことが想像される。

 実際、大友義鎮(大分)が治める地域では、「教会では聖歌が歌われ、宗教劇が演じられ、また病院が建てられて貧しい人々を救済」する活動が行われている。また「白衣をつけたキリシタン少年たちがヴィオラ・ダルコ(弓奏弦楽器)を『キリスト教国の王侯たちの御前に出しても遜色ない』水準で演奏」したとも、皆川氏は紹介している。そうしたこともあってか、大分には、「西洋音楽発祥記念碑」が建てられているそうだ。少し大胆すぎる気もするが、宣教師たちが持ち込んだ宗教音楽は、それほど人々の心を捉えたのだと言える。

 今年は、宗教改革500年。その宗教改革の余波として、日本にキリスト教がもたらされたことに、不思議を感じる。「キリシタン音楽」については、機会があれば、また紹介させていただく。      

(中沢譲)