牧師室より

「礼拝って、けっこう忙しいですね」。だいぶ以前のことですが、婚約者に連れられて、はじめて礼拝に出席した若い男性とその友人から聞かされた感想です。プログラムにそって、立ったり座ったりしながら、讃美歌や聖書をあちこち開くのが忙しかった、と言われてなるほどと納得しました。毎週やっていると、そういうことに気が付かなくなりますね。

 私は、3歳の頃から母と共に大人の礼拝に出席させられていました。もちろん自発的にではなく、礼拝に出席したい母の隣に座らされていただけのことです。(父は、音響係で別席のことも多かったです。)しかも母の“定位置”は、前のほうの席でした。退屈してきてモゾモゾすると母に突っつかれるし、椅子の高い背もたれ越しに後ろの席を振り返ろうものなら、日曜学校の先生と目が合って、にらまれるし、仕方なくじっとして自分の世界に閉じこもっていたものです。やがて字が読めるようになると、母は、「礼拝の前に、週報を見て、あらかじめ今日の聖書と讃美歌の箇所を開き、しおりを挟んでおくのですよ」と教えてくれました。自分でその日の聖書や讃美歌や交読文の箇所を探して、しおりを挟んでおくという作業は5ぐらいで礼拝前のルーチンになっていた記憶があります。ですから、今でも礼拝前に、その作業をしていると、気持ちが礼拝に向かうような気がします。子どもの手で大きな聖書や讃美歌を開くのは一苦労ですが、だんだん慣れて、着席してからオルガンの前奏が始まるまでの時間に、余裕でしおりを全部挟めるようになりました。すると母は、「時間があるのなら、今日の聖書の箇所を黙読しておくのですよ」と。聖書は、漢字が全部フリガナ付きなので、小さい子どもでも読めます。それで、今日の聖句を目でたどりながら、ふと周りの大人を見回すと、大人もそうやって聖書を黙読しているので、ちょっと一人前になったような気がしたものです。説教の言葉や讃美歌の歌詞の意味が、心に響くようになるまでには、それからまだまだ長い時間がかかったのですが。礼拝前のルーチン、よかったら試してみてください。

           (中沢麻貴)