牧師室より

まだ牧師になる前、出身教会の役員会に陪席していた時のこと。牧師の有給休暇ということが話題になった。老牧師が、う〜んとうなって、「牧師という仕事は、企業に勤めている人とは働き方が違うからなあ」と言うと、役員さんたちが、「では、先生と呼ばれる仕事、教師やあるいは開業医に近いですか?」と問うと、牧師はさらにうなって、「強いて近い働き方の仕事と言えば…主婦業、かな」。牧師の働き方は、「主婦業」に似ている、というイメージを、それ以来ときどき思い出す。

 たしかに、牧師には勤務時間という概念は無い。寝ても覚めても牧師は牧師。レビ人同様、人々が神様に献げた中から、生活するためのものをいただく。働きに見合った報酬あるいは成功報酬という形で収入が決まるわけではない。人間関係が大事な仕事だ。人に寄り添うことが大事で、育てたり世話したりすることに貢献することもあるのだけれど、雑用的なこともまた、たくさんある。「家」の維持管理と「教会」の維持管理は似ているところもある。みことばを取り次ぐという中心的な役目はあるけれど、老牧師は「説教の作り方は、主婦が夕飯を作るのと似ているなあ」とも言っておられた。

 私はもともと、農的生活を自分のライフスタイルとして求めていたようなところがある。一次産業に従事する人は、基本的には生活と仕事は地続きだ。子どもをおぶったまま農産品の出荷作業をしていたり。家族経営の農家なら、収入はみんなの収入だ。楽しみやくつろぎの時間は、働き方を工夫して自ら作り出す。

 農家の若い友人宅では、娘さんが中学生になったとき、学校が休みの間は、昼食は自分が作ってもいいと、自分から言い出した。親の働き方を見ていて、当然自分にも役割分担があるな、と思ったそうな。生活と仕事が地続きだと、大変な時もどこかで納得がいく。共同体の中で、多様な協力がなされていく。私は、豆を煮ながら説教を書き、週報を作る合間に、野菜を間引く。 (中沢麻貴)