牧師室より

 先日、パリでは新聞社襲撃事件があり、続いて二人の日本人が、「イスラム国」によって人質にされたとの報道がありました。これら一連の出来事を、キリスト者としてどう受け止めるべきか問われているようにも思えますが、なかなか難しい問題だと感じています。

今言えることは、宗教というものは、時に驚くほどの残虐性を発揮することがあるということです。残念ながらキリスト教も、その歴史から自由ではありません。西洋史には、キリスト者による戦争の歴史が繰り返し登場しますし、アメリカ大陸への上陸も、キリスト教を「錦の御旗」として、先住民を虐殺し、隷属を強制しました。第二次大戦中は、日本のキリスト者たちが、占領地のキリスト者を懐柔するために、積極的に協力したと言われています。しかし日本の侵略は、現地のキリスト者に殉教を強いるものでした。近年では、米国は神の名によって、イスラム世界への戦争を行いました。しかも米国単独ではなく、有志連合を募っており、事実上日本もそこに参加しています。今話題になっている「イスラム国」の台頭も、そのことと無縁ではありません。むしろ米国による侵略戦争とシリア内戦によって誕生した勢力と言えるでしょう。

 ブッシュ政権の中枢で「対テロ戦争」を指揮したラムズフェルド元国防長官は、「歴史や文化が違う他国に、自分の国の統治システムを強いることができるとは思わない」と語っています。またアーミーテージ元国務副長官は、「米政府はイラクが大量破壊兵器を持っていると考えて(開戦を)決定したが、実際には持っていなかった。イラク侵攻は最悪の間違いだった」と、毎日新聞のインタビューに答えています(毎日新聞20141230日)。

 今更なにを言っているのだろうかと思いますが、結局、米国は自分の行いに責任を負えず、世界に混乱を持ち込んだだけであることが見えてきました。こんな無責任な「有志連合」が、安倍政権が推進する「集団的自衛権」の中身なのです。“悪い隣人たち”と徒党を組まないことが、国民を犠牲にしない唯一の道なのではないでしょうか。   (中沢譲)