◇牧師室より◇
孫崎 享氏の『戦後史の正体』を読んで、なるほどと納得すると同時に、何とも悲しい思いにさせられた。孫崎氏は、数カ国の大使を務めた外務省官僚で、多くの資料を引用しながら、戦後の政治のあり方を分析し、論述している。
戦後史は、下記の流れであったことは、多くの人が了解するところであろう。マッカーサー司令官は米国支配を円滑にするため、天皇の戦争責任を不問にし、民主化と、戦争のできない国を目指した。ところが、米ソ冷戦構造が生じ、日本を共産主義の防波堤にしようと、再軍備、経済成長を促す方向に転換した。朝鮮戦争によって日本経済は息を吹き返した。池田勇人の所得倍増計画に始まり、経済最優先政策を取り続けた。そして、現在の閉塞状況にある。
この戦後史の流れの中で、孫崎氏は、米国の圧力に対して、時の政権を「追従派」と「自主派」に分類し、政権の姿を浮き彫りにしている。
マッカーサーは民主主義をもたらした「救世主」のように認識されているが、彼は「私は日本国民に対して、事実上無制限の権力をもっていた。歴史上いかなる植民地総督も征服者も、私が日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった」と豪語している。
1951年、サンフランシスコのオペラ・ハウスで大々的に、講和条約が結ばれた。同じ日に、米軍の小さな一室で安保条約が調印された。その第二条に、米軍の日本における配備は「両政府間の行政協定で決定する」となっている。その行政協定には、「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」ということが含まれていた。独立国とは名ばかりで、完全な米国支配下にあった。
この米国支配に「追従」した吉田 茂、中曽根康弘などは長期政権を維持した。一方「自主」を模索した重光 葵、石橋湛山などは辞任させられた。米国の懐柔政策は政治、経済、マスコミを飲み込み実に巧みである。
最近では、鳩山由紀夫が、沖縄基地を「県外移転」、「東アジア共同体構築」と言ったが、彼は米国ではなく、官僚、政治家、マスコミによってつぶされた。現在の日本は、米国に言われなくとも、気に入られようとする機運が醸成されているということである。TPPは農業問題が大きく取沙汰されているが、米国流経済の導入であり、諸々の分野で経済破綻とシステム破壊が進む、という。
カナダのピアソン首相は北爆に反対し、ジョンソン大統領につるしあげられた。続いた歴代首相たちも、米国と距離を取りイラク攻撃にも参加を拒否した。これらの政策は国民から大きな支持を得ている。無批判な米国追従は世界の孤児になる。