◇牧師室より◇
パウロはガラテヤの信徒への手紙1章12節に「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」と書いている。復活したイエス・キリストに出会い、人間の救いである福音の真実を知らされたと力説している。確かに、パウロの語る福音は神からの啓示であり、それが、パウロの凄まじい伝道者としての生き方を可能にした。そのパウロも、私たちと同じ肉を持つ者であったので、次のようなことも言えるのではないかと思う。
パウロは、迫害の息を弾ませて、ダマスコに向かう途中、復活したイエス・キリストに出会った。彼は、地に倒され、目が見えなくなり、手を引かれてダマスコに入った。ダマスコにアナニアという弟子がいた。彼は、迫害者パウロを恐れていたが、神に促されて訪ねる。そして、手を置いて「聖霊で満たされるように」と宣言した。その時、パウロの目からうろこのようなものが落ち、見えるようになった。アナニアはパウロに信仰について諭したと思われる。
また、迫害していたパウロは容易には信用されなかった。故郷タルソスで悶々としていた時、「慰めの子」と言われたバルナバが訪ね、伝道旅行のベース教会になったアンティオキア教会に連れ出している。ここで、信仰の薫陶を受けたのではないか。パウロにとって、アナニアとバルナバの存在は大きい。彼らがパウロを育てたと言ってもよいと思う。信仰は人を介して伝承されていく。私も多くの先輩と諸々の書物によって、養われてきた。
しかし、パウロは「人からでなく、キリストの啓示によって」と力説する。信仰は人に教えられ、導かれていくが、究極的には、イエスを十字架の死から復活させた神に向き合うことである。復活したイエス・キリストによって救われている恵みを知る時、真に自立した信仰が約束される。パウロは、血肉に相談しない、また、権威ある使徒たちに会うこともしなかったと語っている。人や権威にぶら下がらない自立が、本当に愛し合う隣人を作り出していく。導いてくれた人々に心から感謝するが、イエス・キリストと私との生ける関わりの中で、信仰を確立させることが何より大切である。