◇牧師室より◇
3・11の地震、津波、そして福島原発事故が起こって、4ヶ月になる。しかし、被災した人々の救済は遅れ、彼らの苦悩は更に深まっている。地震、津波、原発事故をどのように受け止め、向き合うべきか。
地殻変動するプレート上にある日本は地震、津波に周期的に見舞われることから避けられない。巨大な地殻変動が起これば、太刀打ちできない。大自然を前にして、ただ黙するのみである。被災した方々の苦悩に寄り添うことが人間である証となる。
原発事故は人災であるから、原因追及と責任の所在は明らかにしなければならない。高木仁三郎氏の著作や、核廃棄物を保管する青森で伝道している岩田雅一牧師のレポートを読んだことがある。原発の危険性を知らされてはいた。しかし、浜岡原発停止を求める署名をしたくらいで、積極的に意志を表してこなかった。
発言の機会を得られなかった反原発論者や原発に関わった技術者たちが堰を切ったように論述し、諸問題を厳しく指摘している。クリーンで格安、そして安全を宣伝し、原発開発を推進してきた。それらは全く、偽りであった。
事故後も、正確な情報は隠蔽され、事故処理の見通しもつかない状態にある。誇っていた日本の科学技術は無残に失墜した。安全管理に対する行政対応も信頼できない。
原爆と原発は核爆発を同根にしている。被爆と被曝は同じであるという論は説得力を持っている。核は人間には処理できないものではないか。代替エネルギーの開発に力を注ぎ「脱原発」に舵を切り変えていくべきである。万年の単位まで被害を及ぼす核廃棄物を後世に残すことは許されることではない。原発現場で働いている人々は本当に過酷な状況に置かれている。故郷を失った人々の悲しみは測り知れない。放射能汚染の恐怖から抜けきれない。これから、何十年と続くであろう。
経済、利便を最優先に追求して経済大国になることから、多少不便でも、落ち着いて命を守る安全な暮らしをすることへと向きを変えていく。今回の大震災から、分かち合って生きる価値転換、日本再生を示されたと捉えられるのではないか。
荒井 献先生は「強い日本をもう一度」ではなく「弱さを絆に連帯し助け合う」と言っておられる。強さは弱者を排除し、弱さは絆で連帯を生み出していく。聞くべき言葉であろう。