◇牧師室より◇
東京大学大学院教授の加藤陽子氏が、栄光学園の中・高生に講義した「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を上梓している。1930年代から戦争に傾斜していく過程を講義しながら、中・高生に、時々、質問をしている。生徒の答えが的を射ていて、私より正確に知っており、感心した。講義は歴史を解明する批判的精神が高く評価され、小林秀雄賞を受賞している。半藤一利氏の楽しい「昭和史」の名講義とダブって聞こえる。
真面目な話なのでしょうが、吹き出すような二つの事例を紹介したい。
1941年9月6日に御前会議が行われた。テーマは米国との開戦問題であった。永野軍令部総長は、天皇始め、お歴々の前で、下記のように語った。「避けうる戦をも是非戦わねばならぬという次第では御座いませぬ。同様にまた、大阪冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような、不利なる情勢のもとに再び戦わねばならぬ事態に立到らしめることは皇国百年の大計のために執るべきにあらずと存ぜられる次第で御座います。」徳川氏は、平和であると安心させた豊臣氏を「大阪夏の陣」で滅ぼした。開戦の用意と決意をせずに滅ぼされた豊臣氏になるか、緒戦の大勝に賭けるか。二者択一であれば、開戦に賭ける方がよいと進言したのである。
1941年11月15日に、山本五十六長官が立案した真珠湾攻撃が承認された。この時、天皇に「桶狭間の戦にも比すべき」奇襲作戦であると説明した。「桶狭間の戦」は、織田信長が十分の一ほどの軍勢で、大軍を率いる今川義元の本陣を急襲し、打ち破った戦いである。真珠湾への奇襲作戦は勝算があると「桶狭間の戦」から譬え、開戦を訴えたという。
加藤氏は、昭和天皇は史実を用いた講談調の説得に弱いと見た海軍側の知恵ではなかったかと推測している。この天皇理解が何とも面白い。歴史はこのような陳腐な発言によって動いていくものなのか。しかし、これでは戦争に勝てまい。