◇牧師室より◇
寿地区センター主事の三森妃佐子牧師をお招きして礼拝を守った。「いのちの分ち合い」と題して、マルコ福音書6章の、5千人に5つのパンと2匹の魚で満腹させた奇跡から話された。ガリラヤの貧しく、飢えた民衆を「飼い主のいない羊のような有様」と書いている。主イエスは彼らを見て深く「憐れ」まれた。この「憐れ」みは「腸を突き動かされる」という意味で、主イエスは断腸の思いで、民衆の痛みに共感された。
三森牧師は、川崎で野宿者が非人間的に扱われている様を見て、腸を突き動かされるような体験をしたと言われる。その体験が「寿地区センター主事」の活動を続ける力になっているのではないかと思った。
説教では、ガリラヤの民衆と寿町の住人をダブらせて語られた。主イエスは弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。見て来なさい」と言われ、飢えた民衆と責任的に関わることを求めておられる。同じく、居場所を失っている寿町の住民と命を分ち合えと言われているのではないか。神が与えてくださった命を分ち合う中に本当の希望がある。そして今、苦しむ人々の叫びが聞こえますか、主イエスのご降誕をどのように迎えますか、と結ばれた。
午後は、社会委員会学習会で「いのちの灯 消さないために」というテーマで三森牧師の講演を聞いた。「寄せ場」は、日本の産業構造と経済成長が必然的に生み出した地域社会である。その寄せ場は社会の変動により形を変えていった。寿町は日雇い労働者の町であったが、最近は、高齢者そして福祉の町に変貌している。行き場を失った人々が寿町にやってくる。6,500人の住民の97%が男性で、その80%が生活保護を受けている。一応、整った簡易宿泊所で生活できる。宿泊所代を払えない人は路上生活者にならざるを得ない。
三森牧師は「はみ出し者が生き難い社会になっている。そのような人々を受け入れる寿町は抱擁力がある町ではないか。聖書にこだわり、この町にいる」と言われ、25年間も寿町に留まっておられる。三森牧師によって何人の命が救われただろうか。地道な活動に心から敬意を表す。