牧師室より

四竃揚牧師が「平和を実現する力−長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言」を編集して、出版された。

四竃牧師は、広島教会で牧師をしておられたお父さんとお母さん、広島女学院生であったお姉さんの佑子さん、そして2人の弟さんの6人家族であった。被爆した時、爆心地からの距離は佑子さんが500m、四竃牧師とお母さんが1.5km、お父さんが3kmくらいで、4人とも別々の所で被爆された。2人の弟さんは疎開をしていたために免れた。

被爆された4は爆心地に近かったが、奇跡的に助かり、再会することができた。そして、弟さんたちが疎開していた農家6人の家族は集まり、共にあることを喜んだ。しかし、佑子さんは原爆症を発症し、苦しみの中で召されて逝った。

著書「平和を実現する力」は四竃牧師の5人のご家族が佑子さんを偲んで証言をしておられる。それは、平和を求める深く、強い、苦しみの中からの重い証言である。また、関わりの深い櫻井重宣牧師が「推薦の言葉」を書き、渡辺信夫牧師が「特別寄稿」を寄せている。

数え17歳で夭折した佑子さんの優しさと無垢の信仰に心打たれた。弟さんたちの鉛筆を削り、ペンで名前をきれいに書いて、誰がしたか分からないように、筆箱に入れていた。被爆後、瀕死の状態にありながら、疎開していた弟に、乱れた字で「迎えに行く」と葉書を出している。召される前に「信仰告白式」を受けた。式の後、「もし佑子の病気がよくなったら、神様のためにお父ちゃんと一緒に働きます」と語ったという。死期が迫った時、「佑子、佑子って呼ぶ声が聞こえるのよ」と言うので、お父さんが「イエス様の声だから、はっきり返事をしなさい」と言った。そして、求められて上体を起こしてあげるとお父さんに抱きかかえられたまま、息を引き取られた。

お母さんは「愚痴もなく苦しみ耐えし子のいとし 素直に仰ぎ素直に逝きぬ」、「原爆症のいたみはげしく夜もすがら、聖歌うたいて娘は耐えぬきしが」、「『足れり』との聖言になお足らわぬと 悲しききわみ人の子よわれ」と歌っておられる。

「一粒の麦」として地に落ちた。しかし、永遠の命に与り、多くの実を結んでいる。無辜の佑子さんの悲惨な死は戦争で殺し合う人間の罪を自らの身で負われた「贖罪的な死」であったと私は信じる。贖罪的な死であったと信じる時、佑子さんの死は「平和を実現する力」として受け止められ、私たちを平和を追い求める生き方へと導いてくれる。