◇牧師室より◇
岩井健作牧師は「平和講演」の最後に、渡部良三氏の「歌集 小さな抵抗」について話された。読みたいと思っていたところ、教会員Y姉からお借りして、読む機会を得た。鳥肌の立つような歌集であった。戦場の凄まじさは31文字から直に伝わってくる。私は、このような反戦意志の貫徹があったことに驚愕した。
渡部氏は学徒出陣した。出征する時、父と会い諭された。「反戦をいのちの限り闘わむこころを述ぶる父の面しずか」氏は「反戦は父に誓いしひとすじぞ御旨のままをしかと踏むべし」と受けとめている。父は治安維持法違反で逮捕され、獄中生活を強いられている。
渡部氏は中国戦線に送られた。散文でない短い短歌を便所で書いて、軍衣袴に縫い込み、戦後持ち帰った。その歌集を出版することになった時、深く悩まれた。それは安直な反戦、平和主義に流されることや、実名入りの歌により迷惑をかけることを恐れたからである。
新兵に度胸をつけるためとして、捕虜を突き殺すことを命じられた時、敢然と拒んだ。「鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ『虐殺こばめ生命を賭けよ』」これは「敵前抗命」と見なされ、リンチされ続ける。「『死』に比べ凄(さむ)しきリンチに今日も耐ゆ生命の明日は思(も)わず望まず」戦場では「獣めく姿に見たり憎しみのこころに戦友のずり落ちゆくを」「死にし戦友(とも)『天皇陛下萬歳』は叫ばざり今野も小原も水欲(ほ)りしのみ」多くの戦友を失い、「これほどの数多若きを死なしむる権力(ちから)とはなに国家とはなに」「戦友の死に日日みつつわかこころ誰(た)を呪うべき天皇か大臣か部隊長か」と詠う。
従軍慰安婦について「終身の未決囚の如き兵等いま慰安婦のいのち踏み躪るなり」また「慰安所に足を向けざる兵もあり虐殺拒みし安堵にも似る」と詠う。嬉しい歌もある。「耳漏を治療(くすす)べく言い又の日を子等に約せる兵ひとりあり」それは渡部氏ご自身である。「徐州市ゆ列車に乗る日来ぬ子等走り出て『再見!』『渡部!』」耳漏れをなおしてもらった子供たちが別れを惜しんで復員列車にしばらく追走したという。
戦後は「電文は敗戦のうつつ否むがに『終戦』という新語につづる」「天皇(すめろぎ)の戦争責任なしとうはアジアの民族(たみ)の容れぬことわり」と戦争責任の曖昧さを批判し、ご自身は「強いられし傷み残れど侵略をなしたる民族(たみ)のひとりぞわれは」と苦しむ。
歌集は「生きのびよ獣にならず生きて帰れこの醜きことを言い伝うべく」に尽きる。