牧師室より

 衆議院選挙は、予想をはるかに越えて自民党の圧勝になった。民主党を始め、野党の惨敗である。今回の選挙ほど、理解し難い選挙はなかった。郵政民営化法案は衆議院で可決されたが、参議院で否決された。これを受けて衆議院を解散した。参議院で否決されたら、衆議院に差し戻して再審議をするのが常道であろう。小泉首相は衆議院に差し戻しても3分の2の支持は得られないと解散し、郵政民営化の「信」を国民に問うと突然の選挙を選んだ。そして、選挙の争点は「郵政民営化」の一点だとした。これも理解できない。国民投票にかけるというのなら分かるが、多くの問題を持つ今日、あまり関心のない郵政民営化問題だけで、多額の税金を使って選挙するというのは権力の横暴としか思えない。

 しかし、国民は単純な「あれか、これか」の問題提起と「劇場的政治」に喝采し、小泉首相を支持した。郵政民営化に反対した議員たちは排除され、参議院で反対した議員たちも「賛成」に廻ると表明している人もいる。政党政治だから、主張の統一は当然と言える。しかし、自民党議員が「小泉牧場の従順な羊の群れ」になってしまったら、強権政治になりかねない。小泉政治は米国一辺倒で、アジアとの関係が希薄である。これは力への媚びへつらいで、弱肉強食の論理を正当化する。「改革」という言葉の内容がはっきりしない。私にはグローバル化、競争原理の導入ではないかと思える。

現代の最大の問題はあらゆる分野で二極化が進み、そこに人心の荒廃が起こっていることである。テロリズムなどがその典型である。持つ者と持たない者が可能な限り、公平な分かち合いを求めるところに、明日の世界が開かれる。

莫大な財政赤字問題、年金に絡む少子化問題、失業に絡む高齢者の自殺と若者のニート問題、アジア諸国との関係を拒絶する靖国参拝問題、何より派兵を可能にしようとする憲法改定問題など、小泉首相ペースで進められたら、どうなっていくのか。権力の肥大化を恐れる。

 「週刊金曜日」に連載している永六輔氏の「無名人語録」の下記の言葉に全く同感した。「民主主義は多数決という言葉は新鮮で感動的だったよなァ。多数決は多数派が正しくなきゃ意味ないんだよなァ。俺、民主主義になってからずっと少数派なんだ。だから、民主主義から無視されてるんだ。」

 差別を負わされる少数派、生きることに苦悩している人々を社会の中心に据えることが大切ではないか。キリスト教は、マリアの賛歌で歌い上げている「身分の低い者を高く上げ、餓えた人を良い物で満た」すことがイエス・キリストの福音であると説いている。