◇牧師室より◇

 N姉のお姉さんのKさんは1220日(金)、はっきりした言葉で信仰を告白し病床洗礼を受けられた。そして30日(月)、71歳の誕生日を迎える5日前、静かに召された。不思議な導きで出会い、素晴らしい交わりをいただいた。

 N姉から、末期癌の姉が洗礼を受けたいと言っているが、どうしたらよいでしょうかという電話を受けた。私は直ぐに病院にお訪ねした。自分の死を見つめている方とは思えない、にこやかで晴れ晴れした態度と言葉であった。生きてきた全てに納得し、死を本当に潔く受け入れておられた。神を信じ、神にゆだねて最後の時を過ごし、天に帰ることを願って、洗礼を受けることを強く望まれた。5回お訪ねし、会話ができたのは4回であったが、その会話はみじんの暗さもなく、平安と希望に満ちたものであった。小さい時、神を知らされ、心の奥底に神への憧れを持っておられた。死を真近かにして、幼子のように神を真っ直ぐに信じ、永遠の命への望みを抱いて見事に逝かれた。洗礼を受けた時の顔は輝かしいほど 美しい顔であった。

 Kさんが38歳の時、二人の娘を残し、ご主人は亡くなられた。大きな悲しみと不安に襲われたであろう。子供を育てるため心機一転、コンピューター関係の会社を立ち上げた。当初は資金繰りに苦労したらしいが、時代の要請を受け、会社は大きく成長した。先見の明があったのであるが、持ち前のバイタリティーで懸命に働いたらしい。ご家族は何もしないで、じっとしていることはなかったと言われる。明るくジョークを楽しみ、人を深く配慮する優しい人であった。ご家族の本当に手厚い看病の様子はKさんに対する感謝と尊敬の思いを伝えていた。

 自分の死と葬儀を一切知らせなくてよいと遺言されていた。会社社長で、明るい人柄からも交際範囲は広かったであろうから、お知らせすれば、教会に入り切れないほどの会葬者が見えたであろう。自分の死を本当に悲しんでくれる人だけの葬儀を望まれた。私は病床で「召された時は、お花をいっぱい飾り、教会の方々が讃美歌を歌い、きれいにお送りします」と言ったら、嬉しそうに頷いておられた。前夜式は家族のみ、告別式は家族と教会員で行なった。

 また、召された後の顔は、娘二人と孫一人の他には見せないとの遺言であった。私は臨終に立ち会えなかったが、プラス一人に加えられ、病院で拝見した。本当に安らかで清々しい、病室でお会いしたきれいな顔であった。

 神への信仰は死を乗り越えて大きな喜びと希望を与える恵みであることを改めて知らされた。