◇牧師室より◇

 アメリカで起きた同時多発テロは世界を震撼させた。特撮映画のシーンを見るようなことが現実となって、7,000人以上の人が死傷した。この卑劣な行為をテロリスト以外、誰も承服することはできない。80数カ国もの人が犠牲になったが、アメリカを標的にしていることに間違いない。アメリカの怒りも納得できる。しかし、「武力報復」には一般市民を巻き添えにするから反対である。アメリカが本当に民主主義国家ならば、テロリストの犯罪を明らかにし国際法に則って裁判によって解決すべきである。アメリカはキリスト教国でキリスト教的雰囲気をかもし出している。しかし、その対応は聖書的ではない。主イエスは「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と語られ、パウロは「自分で復讐せず、神の怒りに任せない」と言っている。これらの言葉を時代に合わない「愚か」と言うならば、教会を利用して報復高揚を煽り立ててほしくない。教会も信仰に従って「愚かな」み言葉に固執すべきである。

 21世紀の新しい戦争と言う人がいる。そうならば、この戦争を食い止める英知を結集しなければならない。それには、アメリカを始め先進諸国の国際政策を根本的に改める必要がある。特に、アメリカは自国の営利のみを追及することを改めるべきである。最近においても、地球温暖化を防ぐ京都議定書を反故にし、弾道弾迎撃ミサイル制限条約を離脱してミサイル防衛構想を打ち出し、更に、包括的核実験禁止条約も批准しないという。宇宙的汚染の拡大を平気でやろうとしている。気にいらない国を「ならず者国家」と言って経済制裁を加え、多くの市民を死なせている。テロの報復に同調すれば、ならず者国家を解き経済支援をするという変節など、単独独善主義は目にあまる。イラクのクウェートへの侵略をとがめながら、イスラエルのパレスチナ侵攻に加担している。アメリカのイスラエル化こそがテロの標的にされる。日本は無批判な追従でなく、力の驕りを指摘すべきではないか。テロと関わりのない、飢えと渇きの中にいるアフガンニスタンの人々の苦悩と怯えにどれだけ近づけるか。命の重さはアメリカ人もアフガニスタン人も同じである。