◇牧師室より◇
大阪・池田市で起きた小学生殺傷事件は本当に痛ましい。まず、抵抗できない弱い小学生を襲ったことが何とも悲しい。また、報道によると「エリートの子どもを殺せば死刑になると思った」と言う。子どもさえ選別するのかと、時代の価値に毒されている心が哀れである。更に「精神障害者を装った」とも報道されている。精神障害がある場合、責任能力がないと見なされ無罪になることがある。「死刑願望」と矛盾するが、心身喪失による無罪を狙ったのであろうか。
最近の事件は怨恨に関わりのない第三者を巻き込む突発的な犯罪が多い。マスコミは、それらから「精神障害者=危険人物」という姿勢で報道しているきらいがある。政府も物知り顔な識者も、それを受けてか、安易に「保安処分」を口にする。精神障害者は社会の安全のためという理由で、ハンセン病と同じように隔離されてきた。それが偏見と差別を助長してきたとも言える。
私は
20代に、うつ病で入院したり、転地療養したりして数年苦しんだ。また、牧師という仕事柄、精神的に苦しんでいる人としばしば出会う。彼らの心は本当に優しい。その優しさが病を呼び込むのではないかと思わされる。事実、精神障害者の犯罪率は普通の人の半分以下と言われている。今日、精神障害者を隔離するのでなく、社会に復帰させようと地域に各種の施設が作られている。彼らは努力し支え合って、市民としての当然の幸せを求めている。これを理解し、支援することが「私は健常者である」と言う人の務めであろう。私たちは明日、精神障害者になるかも知れない。現在、精神障害者は二百万人を超えているから、
2%の確率である。子どもを除くと、かなり高い率になる。犯罪を繰り返す精神障害者には的確な判断と適正な治療が求められる。しかし、「精神障害者=危険人物」という風潮がマスコミによって煽られると、弱く苦しい立場にあり、また心優しい彼らの人権が保障されなくなる。そして、その家族も傷つき、首をすくめていなければならない。人権を無視した報道や被害者を興味本位に弄ぶ報道に振り回されないように心したい。