2009年10月のみことば |
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 (コリントの信徒への手紙T 13章4節〜7節、13節) |
今日は、CSと大人の合同礼拝です。また、先ほど幼児祝福祈祷をしました。イエス様も幼児の時には、大人の人から祝福をしていただいたのですよ。祝福って何かなと思うかもしれないけれど、その人の幸せを祈ることです。健康と平和ですね。そして神の救いがあるようにってことです。祝福は人間にとって大切なことです。 人が生きていくためになくてはならないことが2つあります。もっとあるかもしれないけど、この二つは一番重要なものです。 第一番目は、祝福です。さっき言いましたね。神様の恵みです。これなしには、人は生きていけません。 二つ目は、愛です。同じように、愛がなければ人は生きていけません。 アメリカの話ですが、ある教育専門家が、4歳から8歳の子どもに「“愛”という言葉であなたは何を考えますか」という質問をしました。そのいくつかの答えです。 “愛とは、君が好きな男の子に「そのシャツ、ステキ!」と言うと、その子が毎日同じシャツを着てくるようになるとき。” ――ノエル 7歳 “ママはだれよりもわたしを愛してる。夜寝るとき、ママほどわたしにたくさんキスしてくれる人はいないんだもの。” ――クレア 5歳 “愛とは、ママがパパに夕食のとき、一番いい焼き鳥をあげるとき。”―イレイン 5歳 “愛には二種類ある。一つはわたしたちの愛、そして、もう一つは神さまの愛。 でも神さまは、その両方の愛を愛している。” ――ジェニー 8歳 ちょっと、難しいことを答えていますね。おませなのもありますね。皆さんは、愛についてどう思いますか? お母さんのこと考えてみましょう。お父さんのこと考えてみましょう。お母さんがいなくなったら、どうですか。寂しいよね。悲しいよね。辛いよね。生きていることが、つまらないよね。一緒に生活していて、お世話をしてくれる。ご飯、洗濯、着るもの、学校のこと、すべてがお母さんとお父さんが世話をしてくれているから、生きていられるんだよね。お小遣いもくれて、一緒に遊んでくれるお父さんです。 神様も同じだよ。神様がお母さんとお父さん、兄弟を与えてくださったのですよ。 今日は、その愛について二つのお話をします。 一つは、愛の距離ということです。 1.愛の距離 ある時、教会の先生が教会学校のお友だちにこんな質問をしました。 「どうして人は腹を立てると怒鳴ると思う?」 みんなはしばらくの間、考えました。 「冷静でいられなくなってるから。だから怒鳴ってしまう。」と一人の生徒が答えました。 「でも、どうしてそばにいる人に対して怒鳴る必要があると思う? 小さい声で話すことはできないかしら? あなたはどうして腹が立つと怒鳴るの?」と教会学校の先生は訊ねました。 数人が答えたが、どの答えにも先生は納得しませんでした。 そこで、先生は話し出した。 「二人の人間が怒っている時、お互いの心は離れているのです。だから、離れてしまった距離を補い、お互いの声を聞くために、人は怒鳴るのです。怒れば怒るほど、二人を隔てる長い距離を補うために、強く怒鳴らなければならないのです」 先生は続けて話しました。 「二人の人間が愛し合うとどうなりますか? 彼らは怒鳴るのではなく、話し方がやわらかくなります。話すのではなく、ささやくのです。なぜなら、彼らの心は近くにあるからです。さらに愛し合うと、ささやくのではなく、見つめ合うだけで全てが通じるようになります。愛し合えば、二人の心はこれだけ近づくことができるのです。」 最後に、先生は言いました。 「話し合うときは、お互いの心が遠ざからないよう心がけましょう。心を遠ざけるような言葉を言わないように。なぜなら、戻る道がわからなくなるほど二人の心が離れてしまうかもしれないからです」 お友だちとの喧嘩、お母さん、お父さん、兄弟との喧嘩も同じです。心が離れてしまうと、愛するよりも憎んだり、暴力を使ったり、ついには戦争になり、殺しあったりします。 心が離れないように、いつも近くにいましょう。静かに、優しく、おだやかに話しましょうね。 さて、二つ目は愛の強さということです。 2.愛の強さ 愛に強さとか弱さというのがあるのかな、そう思いますね。さっき喧嘩する時、怒鳴るって言いましたね。皆さんは怒鳴られるの好き? そばにいるのに大きな声で、しかも怒った調子で怒鳴られると、こちらも怒りたくなりますよね。喧嘩になってしまうよね。 イエス様、何も悪いことをしていないのにたたかれたり、こづかれたり、唾を吐き掛けられたり、悪口を言われたりしたんだよ。しかも、十字架にかけられて死んでしまったんです。でもね、3日目に復活されました。よみがえられたのです。それで、イエス様は仕返し、したと思う? 仕返しって、復讐っていうんだよ。 「うらめしや〜」って、イエス様は化けて出たのでしょうか? 自分を馬鹿にしたり、十字架につけて殺した人たちを呪ったのでしょうか? そうではないのです。 イエス様は、すべての人が神様を信じるように、愛してくださったのです。愛は赦すことです。それが愛の強さなんですよ。復讐することが強さではありません。赦して、仲良くする時に、人間が本物になるのです。 皆さんもそのように、愛の距離をいつも短くし、愛の強さを持ちましょう。 |
志木教会 潮 義男牧師 (うしお よしお) |
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