ギャングの代名詞として悪名を馳せるジョン・デリンジャーであるが、彼自身は意外にも1人しか殺害していない。にも拘わらずFBIに「社会の敵ナンバーワン」と目されたのは、FBI長官エドガー・フーヴァーが自らの失態を誤魔化すためであった。
ジョン・デリンジャーは1903年6月22日、インディアナ州インディアナポリス近郊で生まれた。父は食料品店や貸家業を営んでいたので、彼は貧困ゆえに悪の道に踏み込んだわけではない。ジェシー・ジェイムスへの憧れから不良少年たちとつきあうようになり、気がついたらリーダーになっていたのである。20歳の時に厳格な父から逃げ出すために海軍に入隊したが、ならず者の彼が軍の規律になじむ筈がない。脱走すると故郷に戻り、そこで強盗を働いて逮捕された。
収容されたインディアナ州立刑務所は、悪党の巣窟であった。デリンジャーはここで後の相棒、ハリー・ピアポントに出会う。そして、数多くの先輩たちから強盗のイロハを学んだ。
8年半後の1933年5月、仮釈放されたデリンジャーはムショ仲間と組んで銀行強盗を始めた。窓口の防護柵をひらりと颯爽に飛び越えるデリンジャーの姿は注目を集めた。また、銀行にいた客からは一銭も奪おうとしなかったことから、義賊的なイメージが大衆に植えつけられた。
やがて100万ドルほど稼いだデリンジャーは、まだムショにいたピアポントを救い出すために、看守を買収して銃を差し入れた。この件がもとでデリンジャーは逮捕されてしまうのだが、ピアポントたちは脱獄に成功。そして、借りを返すために拘置所を襲撃して、デリンジャーを奪還するのであった。
再会したデリンジャーとピアポントは、脱獄組を仲間に加えてパワーアップして暴れ回った。1日で2つの銀行を襲ったこともあったという。警察の裏をかいて翻弄するデリンジャー一味に大衆は溜飲を下げたが、シカゴのファースト・ナショナル銀行を襲った時にデリンジャーは初めて殺人を犯す。ウィリアム・オマリーという警官を射殺してしまったのである。この件が警察を奮起させたことは間違いない。1934年1月27日、デリンジャーはトゥーソンで逮捕される。
しかし、デリンジャーの凄みは、何度逮捕されても諦めないところだ。この時も木を掘って作ったニセ拳銃で看守を欺き、まんまと脱獄してみせた。このあたりの痛快さが、大衆がデリンジャーを支持する所以なのである。
|