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《チョコレート》
正式には「合成チョコレート」だ。ぎりぎり食用に耐えるレベルの油脂に、気持ちばかり甘味料と香料を入れて固めた軍用糧食。まともなのは見た目だけで、味・食感ともに実物とはかけ離れている。
とはいえ、こんなものさえ手に入るだけましと言わざるを得ないほどに、年明け以降の戦局は混迷を極めていた。
「2月14日、前線の全学兵に支給せよ、とあります」
若宮が箱の上面に貼付けられた指令文を示すと、無精髭も手伝ってどこか茫洋と見せていた顔つきを一変させて彼は言った。
「冗談にしても趣味が悪い。まさか、軍が恋人とでも言わせる気ですかね」
「それで案外、当たりかもしれません」
返事を聞いて彼は何か言おうと口を開きかけたが、そのまま半秒ほど視線を宙に泳がせて、結局首を竦めて見せるに止まった。
「どうなさいますか」
「もちろん指令には従いますよ。こんな指令、違反して咎められでもしてみなさい・・・馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
こう口にしてから、急に昨日の晩飯にでも当たったような顔になって彼は箱を開けるよう命じた。
「数えて。・・・いくつあります?」
「22です」
「ああ、それなら助かりました。男子の分だけだったらどうしようかと」
若宮はその場合での女生徒達の怨嗟の声、眼差しの険を想像して、なるほどこれは腹も痛むと思った。
「食べ物の恨みは恐ろしいですからな」
「まったくです。一月後にまた寄越すというならともかくーーー」
口元だけで笑んだ彼の表情は若宮の目に妙に寂しく映った。理由なく胸が騒いだ。
「このご時勢です。一介の千翼長風情ではあの子達に、何の保証もしてやれない」
昨秋、日本に初上陸を果たしたその中型幻獣は外見上は大型のミノタウロスに過ぎず、レーザー砲も浮遊能力も持たなかった。ただひとつ特筆すべきは生体ミサイルの構造である。爆発と同時にゲル状の可燃材を撒き散らし、これに火がつくと消火が非常に難しい。つまり人側の武器でいうナパーム弾に酷似しているのだ。
焦土作戦ーーー街を、山野を、逃げ遅れた同類をも核の炎で焼きながら、辛うじて逃げおおせた人類の前に彼らは兀然と姿を現した。払った犠牲の大きさと無意味を指差し嘲弄するように。
大陸での防衛戦争を知る者にとってその幻獣の名は、正に悪夢の代名詞に等しいものだった。
トラックの荷台から下ろされたのは、指揮車が最後に通信に応じた地点という話であった。
同僚に続いて大地に降り立った若宮はまず、視界を遮る物があまりに少ない事に驚いた。元々関東と違い高層ビルはなかったのだが、とはいえそれなりのオフィス街だった。しかし今や、炭色の道路に区画された焼け野原と成り果て、煤けたコンクリート塊がそこここに鎮座するばかり。
頃は二月半ば、日没が近い。しかしドレスの外気温計は三十五度を示している。
敵の集中砲撃に遭った地域は半径およそ400メートル。炎火は建物、車両、人間、・・・全てを呑んで三日三晩燃え続けたのである。中心部の気温は千度にも達したという。降雨による鎮火のあと、捜索許可が出るまでに一週間を要したのもつまり、気温の平常化を待っての事だった。
若宮は無口な同僚と分かれて南へ百メートルほど下り、そこで目的の車両を発見した。歩道に乗り上げ、横転し、瓦礫の山に鼻先を突っ込んでいる。回転砲塔の銃座が、鉄の塊に穿たれた底知れぬ穴のように見えた。
銃座から突き出る機関砲の砲身、四本の無線アンテナ、ハッチの把っ手。
すべてが炎天下に置かれたチョコレートのように溶け落ち、輪郭を狂わせていた。
内部から返る結晶反応。
まさかと思いたい気持ちは左手首に届いた情報一つにあえなく打ち消された。
若宮はヘルメットを脱いで脇に抱えた。生身の頬に熱風が吹きつけ、みるみるうちに額に汗が伝い出す。しかし眉を濡らす雫を拭おうともせずに若宮は踵を揃えて立っていた。やがて無帽ゆえに深く頭を垂れる。
すっかり慣れたと思っていた焦土の臭いが、再び強烈に鼻腔を襲った。異臭としか言い様のない中に、なぜか微かな甘さが混入している。ビニール、或いはアスファルトが焼けたものか。なんだ、この胸を悪くする・・・目にまで沁みる臭いは。
若宮は深く深く頭を垂れた。
我勝ちに恋人を名乗るものに容赦なく奪い取られた彼に向かって。
そして、せめて今際の無苦を、ただそればかりを祈った。
《劇終》
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★バレンタインモノ。20040312 ASIA