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《鍵》
その日の善行は機嫌が悪かった。
さすがに子供達の前ではと、隠そうとする気遣いは見て取れたのだが。
石のように固い表情が解れることはついぞなかった。
昼前の芝村準竜師の通信にはじまって。
夕方の出撃で壬生屋機が突出、行動不能。
複座のミサイルの半分がジャミング。
友軍損耗率が久々に30%を越え。
来須が肋骨を一本折っていた。
それに関して若宮が撤退命令を5分間無視。
戦場から戻れば本部から、臨時会議への出頭命令が届いていた。
激戦地へ転戦を指示されるのは十中八、九間違いない。
悲観主義者の善行ならずとも、頭を抱える状況ではあった。
*****
九時を半ば回ったころ、若宮が小隊隊長室を訪れていた。
未決箱に溢れる書類の上に、自分の部署の報告書を置くと不思議そうに辺りを見回す。正面の椅子はすでにもぬけの空だ。
側の机で計算機を叩いていたピンク色の髪の少女が、顔をあげるや「特別サービス」と称する情報を提供した。
「司令なら早う帰らはったわ。珍しいこともあるもんや。明日は雪かもしれんよ・・・なんて。あ、今の司令にはオフレコやで」
「・・・そうか。邪魔したな」
加藤にお前も早くあがれと言い残し、若宮は部屋を後にした。
一時間後、若宮の姿は近隣で唯一のコンビニにあった。
それからさらに半刻後には、築二十余年のアパートの一階に。
山ほど買い込んだ食材を軽々と抱えた若宮は、表札のない扉をそっと叩いたが、あるはずの返事はなかった。その後二度三度とノックを重ねたが一向になしのつぶてで。
若宮は最後にノブを捻った。するとドアはなんなく開いた。
「またか」
鍵はかけられていなかったのだ。
若宮は忌々しげに唸ると、首を振った。
*****
「ミスター! お邪魔しますよ」
部屋に踏み込んだ若宮が声をかけると、台所で冷蔵庫の閉まる音がした。それからすぐにTシャツとハーフパンツという格好で現れた善行は、若宮の目の前で350ml缶のプルタブを開けた。
「お邪魔いたします」
「ああ、どうぞ」
どうにもそっけない口調だった。
「何か食べませんか。」
それでも若宮は買い物袋を持ち上げつつ笑ったのだが、善行はにべもなく言い放った。
「僕は結構。食べたかったら勝手にどうぞ」
そう言われた若宮は、無言で料理にとりかかった。米を適当に洗って炊飯器に流し込み、まな板に肉と野菜を乗せ、その前で腕を組んで思いきり眉をひそめている。これから何ができるのか自分でもわからないという顔だ。
その背後、壁にもたれた善行は監視者の目で若宮を見ている。
「あのう・・・何か?」
「別に。」
善行が手にした缶の銘柄はいつの間にか変わっていた。
「・・・何本目です?」
「僕は成人だ。加減も知っている」
しかしそう答えた顔は判然と赤い。
若宮は大袈裟な溜息を聞かせると窘めた。
「明日の会議は朝、早いのでしょう?」
善行は首をわずかに揺らしたが、その動きは肯定とも否定とも取れるものだった。
若宮は結局、まな板の上のすべてを豪快に刻むと鍋に突っ込んだ。すると今まで寸毫も動かず見ていた善行が、待っていたかのようにぽつり囁いた。
「戦士の料理は、美味しい」
若宮は首だけ振り向けて善行の顔を見た。
しかし丸い眼鏡が蛍光灯の光をはじくばかりで、瞳の表情は読みがたい。
若宮が手元に視線を戻すのを待って、もう一度善行は囁いた。
「一人でいても、困ることなんかないでしょう」
聞いた若宮は何事も返さなかった。
ただ唇を固く結んで煮えたぎる鍋の中を見つめていた。
*****
重苦しい空気のまま十数分が経ち、炊飯器がぶつぶつと呟き声を上げ始めるころ。
若宮は突然、大声で話しはじめた。
「そういえば部屋の鍵のことですが。また開いておりました」
善行は若宮の方へ目を懲らしたまま何の反応も見せなかった。しかし若宮はちょうど手にしていた菜箸を置くと、ここぞとばかり強い調子で断じた。
「不用心が過ぎますよ。共生派のこともありますからな、もっと御自分の立場を弁えていただかないと・・・」
「開けておいたんです」
善行はその小言を一言で遮ると、壁を離れて若宮の背後に立った。
広い背中に火照って見える額を当てると両腕を腹の前まで回す。
自然と真下にきた缶の放つ苦い香りが、若宮の鼻孔をくすぐった。
「そんないいかげんな事では困りま・・・」
気を取り直したように口を開くのをまた遮って、静かな声で繰り返した。
「開けておいたんですよ」
善行が続けてこう言いかけるのと。
若宮が振り向きざまその肩をかき抱いたのは。
ほとんど同時だった。
「開けておけば、きっとあなたが・・・」
《劇終》
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★甘すぎない関係が書きたかったのですが失敗。
★不機嫌な司令が(同上)
20030329 ASIA