[BACK]

直喩 -A Simile-



校庭を通り抜けようとした善行に、来須が走り寄るなり問い掛けた。

「お前にとって若宮とは、なんだ?」

冷静沈着を地で行く善行だが、流石にこの不意打ちには驚きを隠しきれなかった。眼鏡の奥の目をまん丸くして、
「・・・なかなか、答えにくい質問ですね」
それだけ言って逃れようとした。

しかし、来須は許さなかった。
「なんだと聞いている」
口数が極端に少ない分、来須の一言は尋常でない迫力を感じさせる。善行は彼に引き下がる気がないのを知ると、ゆうに一分ほど考えたあげく観念したように答えた。

「難しいですが・・・そうですね、これは一つの例えですが」
ここで二呼吸ほどおいて。
「母のような人、だと思います」

「そうか」
金髪の偉丈夫は抑揚のない声で答えた。それから善行の存在などまるで無視で訓練に戻る。取り残された形の善行はしばし呆然と立ち尽くしていたが、やがて校舎はずれの方へ歩み去った。





半時ほどして校庭に若宮が現れた。来須と並んで走り始める。黙々と、そして悠々とメニューをこなしてゆき、数十分が過ぎたころ。

「・・・・・母のようだと」
「ああ・・・やはりな。」

同じ部署に就いて一月。流石にコミュニケーションの術も心得たものだ。若宮は相棒の唐突に過ぎる発言にも動じることなく反応した。そしてどうやら、得られた回答は想像どおりのものだったらしい。

「しかしなあ。ハハ、ねえ」
数度口の中で反芻した後で、若宮は思い出したように礼を述べた。
「つまらないことを聞かせて、すまなかったな。」
「いや。」
互いが数十歩進むほどの間を置いてから、呟く。

「・・・参考になった」

どういう意味だ?
問いかけようとした若宮は、隣を走っている男の横顔が視界に入った途端、ぎょっとして立ち止まった。端正な口元が、これが初めてというくらいにはっきりと、笑みの形を作っていたからだ。

「お、おい、待て! お前、何考えてる?」
泡を食って追いかける若宮の声を背に、来須は無言でピッチを上げた。





「ミスター。今までご家族について伺ったことはありませんでしたな。」
食器の片づけを終えた善行がベッドに腰を下ろすと、若宮が問いかけた。4畳間の床の上は、猫とじゃれあっていた彼がほぼ占有していたのだ。
「そういえば・・・なかったかもしれませんね」
善行は不思議そうな顔になって続けた。
「実家に母がいますよ。まあ、母と言ったところでもちろん、血縁関係はありませんが。」

「・・・どのような方です?」
善行は言葉で伝えるのは難しいと前置きしてから、普通の女性ですよ、と答えた。
「普通、と申しますと?」
“難しい質問ばかりされる日ですね”
善行は一人ごちてから、しばし視線を彷徨わせた。
「そうですね・・・」

その時には、若宮は善行の隣に移動して胡座をかいていたが、何故か膝に置いた手をそわそわと動かしている。先程まで相手にしていた猫たちには、とっくに逃げられた後だ。
善行の顔に僅かに影が差した。軍用クローンには通常のクローンと違って、疑似家族すら用意されない。十代後半の肉体に成人なみの思考を持たせる理由は「省コスト」・・・その忌々しい現状に思い至ったものか。

「いつも家にいて、私と父を待っていました。そういう点ではむしろ、古風な女性だったのかもしれませんね。」
「料理の上手い人で。これは僕が一人暮らしを始めてから分かったことですけどね。」
「今日の胡麻和えとか、近い味になってたと思うんですが・・・もう少し味つけ、濃いほうがよかったですか?」
「写真があったらお見せするんですが。今はありませんね」
問わず語りにぽつぽつと善行は語った。知らず膝を抱えて、声が低くそして優しくなっている。若宮は彼方に思いを馳せている横顔をじっと見ていた。

「・・・なんです? じろじろ見て」
「いや。母というのも、なかなか悪くないものだと」
「えっ?・・・はあ」

善行は若宮の目を探るように覗き込み、はたと膝を叩いた。
「もしかして・・・来須くんのあれ・・・」
若宮は肯定も否定もしなかった。ただにやりと口許を歪める。そんなこと人づてに聞いてどうするんです、と言った善行の顔面に、明らかな困惑の色が刷かれた。
「いつか言いましたよね? 私を育てたのはあなただと。あなたなくして私はなかったと。そういう意味で、僕の母親のようなもの・・・今も、その気持は何一つ変わりませんよ」
「それは光栄です、ミスター」
にっと歯を見せて笑い、敬礼してみせる若宮。

善行はその(上半身だけ)一分の隙もない敬礼を見て、一度は吹き出したが、すぐに不機嫌な顔になった。
「すみませんね、勝手にできた息子の出来が悪くて」
「とんでもない。自分がミスターを息子だなどと・・・思った事は一度もありません。ましてや出来がどうこうなどとは」

「じゃ、どう思うンです? 僕はあなたの何だって言うんです?」
軽いショックを露にして問いただす善行の耳に口を寄せ、若宮は答えと息とを一緒に吹き込んだ。

「・・・・・・」




聞いた善行は耳まで紅くして、とりあえず一旦、台所まで逃げた。


《劇終》

[BACK]


☆微妙に外伝ネタ? 20030206 ASIA