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《Yes−No》
5121小隊司令・善行忠孝は、雲ひとつない頭上を仰いだ。
プレハブ校舎の屋上で洗濯物を干しはじめ、すでに小一時間。
照りつける日差しの思いのほかの強さが、夏が近いことを告げていた。
日曜、快晴。数日こんな天気が続いていた。
そして、出撃もない。
「晴れた日は幻獣が出ない」というジンクスは、意外に信憑性があるのかもしれない。以前は二日に一度来ていた応援要請がここ数日、ぱったり途絶えている。
おかげで整備も調整も、すこぶるつきで良好。物資の調達にも、以前ほど神経を使わない。司令デスクの未決箱に入る書類も日に日に減った。
かくして午前09:00。
習慣で朝早く登校した善行は、赴任以来、初となる状況にさらされていた。
・・・・・ヒマだ。
途方もなく、ヒマなのだった。
日誌をつけるとかいう恒常的な業務はあるが、午前中から一日の総括をするわけにもいかない。ハンガーでも見回って誰かを手伝おうかと思ったが、どうにも人の気配がない。ちなみに本日の小隊内デート予定数、実に7組(奥様戦隊調べ)。
くそっ。
こんなことなら今日は、本来の仕事(奥様戦隊の)に従事するべきだった。
長閑な行楽日和の休日に、一人職場で無聊を囲っているバカは。
「私だけです、か・・・。」
思わず独り言が口をついて出る善行であった。
最終的に善行が思いついた仕事。
それは洗濯であった。
学校ゴッコで使用・・・雑巾、体操服。
整備で使用・・・作業服、軍手、タオル。
小隊備品・・・大量の包帯、仮眠室のシーツ、枕カバー、エプロン。
その他・・・白衣、ビキニパンツ、リボン、靴下・・・などなど。
なにせ25人と一匹という大所帯。戦闘があろうがなかろうが、汚れ物にはこと欠かない。小隊内の掃除洗濯は衛生官の仕事だが、全てを一人でこなせというのは、誰が見ても酷な話だった。
そもそも5121小隊における洗濯とは、大変な重労働なのである。
まず『洗濯機』と称するシロモノが『洗濯板』だという衝撃の事実。これは小隊の七不思議の一つとされている。そして物干台が校舎の屋上、実質地上三階に位置するという理不尽が追い打ちをかける。
そうした中、衛生官・石津十翼長は、周囲の予想を遥かに上回る成果を出しているのだ。誉められこそすれ、責められる道理はない。
無口でおとなしい彼女は、当初こそどうなる事かと思われていたが、しだいに仕事に前向きになり、隊にも馴染んで来ている。金髪碧眼の素敵な彼氏ができたからかもしれない(これも奥様戦隊調べ)。
これも大の家事好きのヨーコと二人して洗濯物を干す姿など、それはそれは微笑ましい光景で。彼女をなかば強引に小隊へ連れてきた善行にとって、そんな時の彼女の笑顔を目にすることは、純粋な喜びとなっていた。
場面は冒頭へ戻る。
5121小隊司令・善行忠孝は、雲ひとつない頭上を仰いだ。
プレハブ校舎の屋上で洗濯物を干すこと、すでに小一時間。ようやく全てを干し終えた今、善行は汗だくになり、息まで荒くしていた。
照りつける日差しの思いのほかの強さは、夏が近い・・・というより、すでに夏そのものだった。屋上のトタンはフライパンのように熱く焼けていたし、直射日光に晒された顔や手は早々に赤らんでいる。
「明後日あたり、筋肉痛確定ですね・・・」
ぼやきながら善行は、屋上で椅子代わりに使っているビールケースを洗濯物の影になる場所まで引きずって来ると、腰掛けた。
善行はこの一ヶ月、訓練など全くと言っていいほどしていない。デスクワークに忙殺され、食事は不規則、睡眠は僅少。体力低下は必然のなりゆきで、急な肉体労働が堪えないわけがなかった。
実際、生易しいものではなかった。
それは整備員詰め所に二つの山をなしていた。無造作に積み上げられ、布巾も靴下もいっしょくた。几帳面な善行はそれを一つ一つ用途・素材別に分別した上で、丸々午前中いっぱいをかけて洗い終えた。
ひとかかえあるカゴ4杯分となったそれは、洗剤のフローラルな残り香など実に愛らしいくせして、重量はまさに殺人級。屋上まで運び上げるのに一苦労、さらにシワを伸ばして干す作業・・・そは果てを知らないシーシュポスの地獄の責苦のごとく。善行は半ばムキになって格闘した。水を吸って重いこの、シーツだのシーツだのシーツだの!!
「これは・・・あとで洗濯しないといけませんね」
はじめからこうしておけばよかったと思いつつ、よれよれになった制服の上着を脱ぎ、カラになったカゴに放り込む。少し迷ってからネクタイとワイシャツの第一ボタンも外した。
「このくらい、いいですよね? 日曜ですし」
日陰で風に吹かれると、汗は次第に引いていった。
喉元過ぎればなんとやら。
じわっと押し寄せてくる疲労すら、どこか心地く感じられてくる。
そもそも善行は、掃除や洗濯が好きだ。
料理も好きだが、食器洗いのほうが輪をかけて好きだ。
自分の手で何かが目に見えてきれいになる事は、気分がいい。
「はあ・・・そんなもんですかなあ」
アパートの部屋に押しかけて来ては、人の3倍飯を平らげていく若宮にそれを言ったら、なにやら狐につままれたような顔をした。
「まあ、あなたは食べるの専門ですからね、せいぜい残さず食べて下さい」
皮肉半分でそう言ったのに、鋼鉄の胃袋を誇る超健康優良児は、素直に言葉どおり解釈したものだ。
その胸のすくような(あるいは胸の悪くなるような)食べっぷりを思い出し、善行は思わず苦笑を浮かべた。
善行は肩と腰に何ともいえないだるさを感じながら目を開いた。
目の前にある真っ白な布・・・ああ、シーツでしたっけ。
いつのまにか、眠りこんでしまったらしい。ビールケースなんぞに座ったまま、膝を抱えるような姿勢で。・・・だるくて当然である。
見れば日はかなり傾き、その光線の色もややオレンジがかって来ている。他目的結晶に意識をやると、時刻は4時半を回るところだ。
洗濯物、取り込まないと!
気づいて慌てて立ち上がり、カゴを手にしたところで、2階廊下から続くステップに足音がした。見ると派手な金色に染めた前髪が上ってくる。
その特徴ある前髪の持ち主・若宮康光は、善行の姿を認めると大股でやって来て、今まで善行が座っていたビールケースにどかりと腰を下ろした。善行が手にした洗濯カゴを見て、なるほどという顔をする。
「衛生官のお手伝いですか。お声をかけて下されば自分がいたしましたのに」
「いいんですよ、もう済むところです。それに、日曜なんですから」
その日曜に他人の仕事を手伝っていた自分の事は、しっかり心の棚に上がっている。若宮は若宮で、日曜だというのに”小隊付き戦士”の口調だ。働いていた善行に、気を使っているのかもしれない。
「委員長、何時からいらしたんです?」
「はあ。朝からいましたが」
「しかし、お姿が見えませんでしたなあ」
善行は内心、ギクリとした。
”今までここで居眠りしていました”とは、さすがに言いづらい。
・・・・なにより、子供みたいで恥ずかしいじゃないか!
善行は若宮の疑問を聞かなかった事にし、別の質問で返した。顔をまともに見ないですむよう物干し台へ向き直り、仕事を再開しながら。
「戦士こそ、今日は?」
「はっ。昼からそこで訓練しておりました・・が?」
その怪訝そうな声に思わず振り向くと、若宮は太い指でグラウンドを指差していた。そう、ここからなら当然見えていたはずだ。
「そうでしたか。気がつきません・・」
「委員長。」
若宮はニヤリとしながら立ち上がり善行の二の腕を掴んだ。綿のシャツ一枚隔てて感じられるその手の大きさに、善行はなぜか動けなくなる。若宮は善行の耳に顔を近付けると、いたずらをしかける子供の顔で囁いた。
「ここで。居眠りなさってました?」
「はい、いいえ。そんなはずないでしょう?」
言いながら、いつもの癖で眼鏡を押し上げようとする。
「だってほら、よだれ・・・」
善行は思わず、上げかけた手をそのまま口元にやった。
「・・・・ぷっ」
肩が、小刻みに痙攣し出し。
堪えきれないとばかりに身をよじり。
「わはははは!!! 冗談ですよ、冗談!」
若宮は文字通り腹をかかえて爆笑しはじめた。
その間善行は、制服越しでも判るほど見事なその男の腹筋がひくひく動くのを、憮然として眺めていた。
ようやく笑いを納めた若宮。まだ崩れたままの顔で宣言する。
「寝てらしたことくらい、顔を見ればわかりますよ。
・・・眼鏡の跡、ついてますし」
善行、今度は目もとに手をやり・・・やりかけ、苦々しい顔になる。
と、その一瞬の隙を突いて若宮が眼鏡を攫った。
伊達でかけていることは承知の上での狼藉である。
「ちなみに、これも冗談です。」
満足げな笑みを浮かべる若宮。
善行はいいように遊ばれている事実に気づき、呆然となりかけたが、なんとか踏み止まり抗議する。
「私なんかからかって、何が面白いんです?」
「いやあ、実に面白い。そして可愛いらしい」
カワイイ人、と慕ってくれた女性の面影が善行の脳裏をよぎった。それから若宮の顔を見る。女性にならともかく、こいつに可愛いと言われて、嬉しくなんかあるものか・・・!
だが、そのくだけた物言いを咎めようにも、今日は日曜。
・・・くそっ。
善行は腹立たしいやら恥ずかしいやらで、何も言う事ができなくなり、無言で洗濯物を取り込む作業に戻った。
若宮はしばらく手の中の眼鏡を弄っていたが、やがてそれをポケットに滑り込ませると、横に立って善行を手伝い始めた。
物干にかかったものを手当りしだいに外し、善行の持つカゴに放り込んでくる。その早さと手際のよさに舌を巻いた善行は、結局、側でカゴを持っているだけになってしまった。
ただ・・・いつまでもこの格好は、と思って上着をカゴから出そうとした瞬間、若宮がそれを大量のシーツの塊で埋めてしまったのは・・・。
故意だったのか偶然だったのか? 良く判らなかった。
ほんの数分後。
屋上狭しとはためいていた洗濯物はすべて、太陽の匂いと温みと共に4つのカゴへと納まっていた。若宮が、ハイおしまいとばかりに両手をはたき合わせる。
「さて。済みましたな。」
「あの・・・ありがとう、若宮戦士。助かりました」
丁寧に礼を述べる。如何なる時にも礼儀を欠かさないのが善行という男だ。たとえそれが、拗ねた目つきのままだったとしても。
「礼をおっしゃるには及びません。
自分は委員長のお役に立てて光栄であります」
涼しい顔で答える若宮。
そこで会話が途切れた。
善行は腕を組み、次第に透明感を失いつつある蒼穹を見上げた。
陽に灼かれた肌に微風が快い。
沈黙に耐えかねたらしい若宮が、再び口を開いた。
「しかし今日は、すばらしい天気でしたなあ。
こういうのをまさに洗濯日和というんでしょうな。」
「私は嫌いですけどね。こんな日は」
善行がそう返すと、若宮はへえ・・・とも、ほう・・・ともつかない中途半端な相槌を返した。晴れた日が嫌いだなどという人間は、よほどのへそ曲がり、天の邪鬼と思われてもしかたがないが。