《喜劇(デウスエクスマキナ)》



「こうなるような気がしていました」
「すまねえな」
すれ違う人のほとんどが思わず振り返るような派手な化粧さえ、本田教諭の内心の苦衷を覆い隠すことはできないでいた。かなり参っているようだ、と苦々しく思いながら善行は答える。
「謝ることはありません、貴女のせいではありませんから。そう……僕から一度、岩田くんに話しておきます。それとこの後は自習ということでかまいませんか」
「ああ。じゃ、頼むわ」
頷いて背を向けた後ろ姿もどことなく小さく見えた。
「困ったものです」
善行は眼鏡のフレームを触りながら呟いた。


その足で教室に入り、真っ直ぐ教壇に上がって告げる。
「芳野先生は体調不良のため来られないそうです。この後、昼まで自習になります」
自習もなにも、はじめから席は三分の一しか埋まっていなかった。今日は土曜日で戦闘訓練が組まれていないうえに、芳野の担当教科は国語と音楽で男子に人気がない。おそらく数名は、朝から職場に直行している。彼女の酒浸りの原因はここにあるのだろう。
だが生徒が学兵でもある限り、根本的な解決など望めまい。生き残ったあとで知識不足を嘆くか、戦場で訓練不足や調整の不備を嘆くか、選ぶのは子どもたち自身だ。

5121は名簿上、一人の戦死者も重傷者も出していない。だがそれは単に、人型の実戦運用が遅れたという事情によるものだ。隣の女子校では五人が戦死していることを、東原ののみを含め全員が知っている。

善行が自席に着くとすぐ、パイロットの数人が教室から出て行った。とくに人型戦車の調整は時間がいくらあっても足りない、それもまた正しい選択だ。
他のメンバーはプリントに取り組むふりをしているが、ちらちら視線を送ってくるところを見ると、単に善行が残っていることを気にしているだけだろう。
そういうことなら、と彼は立ち上がり、出口に向かった。



       ※  ※  ※



若宮が陳情のために小隊長室に入ると、正面の席に小柄な姿があった。
「おう、速水司令」
呼ばれて少年は、計算機を手に飛び上がった。
「若宮さん! あっあの、ごめんなさい、すぐ退きます」
「堪忍してえな。仕事手伝うてもろとるんやけど、席、そこしかあらへんやろ」
自席から加藤が、こちらは悪びれた風もなく言ってのける。
「速水は、自分の仕事はいいのか?」
「はい、舞がまだやってるけど、僕の方は大丈夫です」
少し落ち着いた速水が答える。言葉以上に余裕のあるそぶりだ。
「それならいいが。それと、そこ、後で元通りにしておけよ。それより司令は?」
「人と会う用ができたって。さっき出られましたわ」

「エッ、ほんま!?」
若宮が弾薬の陳情を終えた瞬間、素っ頓狂な声が響いた。振り向くと分厚い封筒の束を抱えた状態の加藤が、速水を珍しい生き物でも見るような目で見ている。
「なんだ、大声出して」
「だってなあ、若宮はん聞いてえな! 速水くん、自転車乗れんのやて!」
それだけを何とか言った後、堪えきれず吹き出した。
「それは……意外だな」
アクの強いラインオフィサーの中にあって、速水だけは標準的な少年の印象がある。それだけに奇妙といえば奇妙な話だった。
「若宮さんまで」
速水は顔を赤らめ、事務官席の前に立って俯いている。
「練習したことないんだ。買ってもらえなかったから」
とたんに加藤はばつが悪そうに、体の前で手を振って謝った。
「笑ってごめんな。そやな、事情は人それぞれや」
「でもやっぱり、変だよね」
「まあ、そう落ち込むな。乗れないなら、乗れるようになればいいだろう」
「えっ? でも……」
「したら速水くん、練習したらええんよ。若宮はんも手伝うって言うてはるし。なあー」
「おい、俺がいつ手伝うと……」
「そうと決まれば善は急げやで。さ、行こ」
加藤は立ち上がり、速水と若宮の腕を素早く両手で捕まえると、強引に小隊長室を後にした。


5121には2台の自転車がある。正規の配属車両なのだが、子ども達はその一台を引いてくると、工具を持ち出して、ペダルを取り外してしまった。
「はじめはこれで、バランスとる練習するといいんだって! なんかテレビで見た」
という滝川の意見が採用されたためだ。
昼休み近くなっていたこともあり、特訓には有志が集まった。郵便局に行くと言って姿を消した加藤に代わって、おっかなびっくりの速水を叱咤しているのは芝村で、事情を聞くなり、情けない、恥を知れと怒りだし、パートナーの特訓を名乗り出た。滝川と壬生屋も放っておけないらしく、あれこれアドバイスを与えている。

 やがて午前中の授業が終わると2組からも何人かが加わって、野次馬の人垣ができた。女子校の校舎の窓からも見物人が顔を出している。
「みんなー」
その方角から、パステルピンクのスーツ姿が現れた。片手にはコップをのせたお盆、もう片手に薬缶を下げている。
「芳野せんせい、大丈夫なんですか」
やや青い顔で、今にも倒れそうによろよろ歩いてくるのを見つけ、女子が二人駆け寄って手伝った。
「こんなお天気でしょ? みんな喉が渇いていると思ったから。先生、麦茶いれてきたの」
茶はまだ沸かし立てらしい。それでも大量に入れた氷のおかげで、飲めない温度ではなさそうだ。皆が争って受け取るのを、芳野教諭は額に浮いた汗を拭いながら嬉しそうに見ていた。


速水の上達は目覚ましかった。まず、あっという間にふらつかずに進めるようになったので、自転車にペダルを戻した。さらに、その状態で練習を始めて二〇分も経つと、コツが掴めてきたようで漕ぐ足に力が入り始めた。
やがて、後ろから必死の形相で荷台を支えていた芝村が、手を離すと、10メートル、20メートルと、進む。
わっ、と歓声があがった。
誰かが大きな声で教えた。
「速水くん、いま、乗れてるよー!」
「ええっ?!」
目を丸くして後ろを振り返る。足が止まって、途端に派手な音と共にひっくり返った。
「たわけ! 真っ直ぐ前を見ておれと言っただろう!」
駆け寄って怒鳴りつけた芝村も、実に嬉しそうだ。

若宮は特訓係からは解放されたものの仕事場を占領され、仕方なくグラウンドの端に日陰に立っていた。昼休みが終わったら続きは明日にするよう提案するつもりだったが、どうやらその必要はなくなったようだ。
右には救急箱を抱えた石津と、離れたところに来須が黙って立っており、左側にはぶらりと現れたオペレーター二人が並んで見物している。
「あっちゃん、すごいねえ。えらいねえ」
「さすが俺のバンビだな」
「もともと運動神経が人より発達しているんだろう。そうでなければマルトクなんぞ乗れんだろうが」
「そんなもんかね」
興を削がれたという声で瀬戸口が答える。その袖を引いて東原が、もじもじとしながら言った。
「ねえ、たかちゃん。ののみもじてんしゃ、のりたいなあ」
「そっか、そうだなあ」
瀬戸口は言葉を切ると手を伸ばして、栗色の頭を撫でた。
「すぐに乗れるさ。もう少し大きくなったらな。」
「うん! えへへ、ののみね、あかいじてんしゃがいいのよ」



       ※  ※  ※



善行は端末の画面を前に考えていた。表示させた分析結果は明らかに、先の戦闘中に感じ取った違和感を数値として裏付けている。
『その十字路を左に折れ……』
『正面、何も見えません』
『二時方向からきたかぜゾンビ』
『迎撃』
『確認。撃破しました』

そう、三番機の動きは早い、いや「早すぎる」のだ。
たとえば移動の指示を受けてから、一歩踏み出すまでの間隙が極端に少ない。時間にして一秒以下くらいのものだから、誤差といえばそれまでだ。だが次第にその一歩が早くなっていることもデータは証明している。

速水が指揮を先読みして動いていると善行は結論づけた。独断先行かと問うなら、今はグレーゾーンといったところだ。このまま変化がなければ、それでもいいと善行は思う。前線で、敵に肉迫した兵にしか感じ取れないものがあることも認める。

だが、もし善行の指示と本人の判断が合致しなかった場合、どうするか。抗命罪を適用せざるをえない。
それ以上に問題なのは、指示を無視して成功した兵は、指揮官に不信を抱きかねないということだ。上官を軽んじる風潮はすぐに蔓延する。指揮系統の乱れた隊が長生きできたためしはない。

考えて込んで、どのくらい経っていただろうか。気づけば日付が変わる間際になっており、芝村が業務の報告に現れた。いつも連れ立って来る速水の姿が室外にもないことを確認して、善行は切り出した。
「ひとつ聞きたいのですが。速水くんのことです。最近何か変わった様子はありませんか」
陳腐な探偵ドラマのようだ、と我ながら口に出した後で呆れたが、芝村は真剣そのものの表情で答えた。
「何を疑っておる? まさか共生派などと、言い出すなよ」
「べつに疑っているわけではありませんよ。だいたいエースパイロットが共生派では、それこそ裏切り者でしょう」
「それは、そうだが」
場を軽くするつもりで言った冗談にはにこりともせず、芝村は少し考えてから言った。
「我はあやつに背中を任せることには何一つ不安はない、だが、確かにあやつは時々変わったことを言う。それは認めよう。この前は線が見えると言いおった。戦場で動く、道筋のようなものらしい」
「線、ですか?」
「それが見えれば絶対に勝てる気がする、と言いおったから、あまり調子に乗るなと釘を刺しておいた」

「そうですか。ありがとう、帰っていいですよ」
少女は扉へ向かったが、手前で立ち止まると、ポニーテールを跳ねさせて振り向いた。
「……であれよ」
「なにか?」
「善行。そなた、芝村であれよ」
少女の眼がまっすぐに善行を見つめた。大きな瞳は深く透徹した色をしている。全く少女らしくないその気配に、善行は射竦められる。
「そういう目をするな。我はそういうお主の目は、好かぬ」
一回りも年下の少女の目に、自分はどのように映っているというのか。善行は問い質そうとしたが、しかしその前に芝村は断固として語り出した。なぜか、自らを鼓舞するように。
「我々は悲しんではならない。憤ってはならない。恨んではならない。恨むならば弱い己を恨むのだ。強くあれ。それが芝村として生きると言う事だ」
「もちろん、その通りです。強くなろうと決心して、私はここまで来ました。たとえこれから先、敵より多くの同胞を殺すことになるにしても……、私はもっと強くなりますよ」
聞いて芝村は腕を組み、不敵に笑った。
「善行。そなた芝村である前に鬼であったか」
「今頃気づいたんですか」
「いや、思い出した、我等は同類であったな」
かすかに口元を笑わせたまま、少女は出て行った。


答えて同じように笑んでみせたものの、善行の心中が晴れたわけではなかった。
速水のことがある。大人しいだけの少年だが、不審な点も多い。そもそも善行と教師たちしか知らないことだが、彼は「速水厚志」ではない、遺伝子適性で選ばれた少年とは違う
のだ。それにも関わらずパイロットとしての才能は十分以上で、戦場でも出色の働きを見せている、この夏の休戦期までにはおそらくアルガナに手が届くだろう。さらに正規の教育も受けない状態で、善行の指揮の傾向さえ読んでいるとなれば。
「疑心暗鬼、で済めばいいんですがね」

"僕たちはそう、戦うために生まれてきた"
ガンパレード・マーチの一節が浮かんでは消える。闇を払うためには、そのために選ばれ生まれて来る必要があるとでもいうのか。そして自分は違うのか、そうでなければ自分の部下は死ななかった。

「線だって? そんなもの僕には見えませんよ。見えたことがない。そんなものが本当にあるなら、だれも……」

たださえ重苦しい胃のあたりに棘が生じて、深く根を下ろしていくような痛みを感じた。善行は肘をついて両手を組み合わせると、祈るように目を閉じた。



       ※  ※  ※



「若宮戦士、」
呼ばれて、若宮は振り上げた拳を下ろして振り向いた。対戦相手を失ったサンドバックが、ぎしぎしと音を立てて揺れ続ける。
「まだいたんですか」
「あと一時間というところです。これで今日はしまいです」
「そうでしょうね、……午前中にはじめていれば、違ったでしょうけど」
忍び笑いを隠そうともしない顔に、思い当たることがあった。
「あの騒ぎを、ご覧になっていたのですか?」
「昼過ぎでしたかねえ。校舎の廊下を通ったんです」
「だったら、止めて下さればよかったのに……」
若宮がため息をつくと、善行は苦笑しながら謝った。
「皆さん楽しそうでしたからね、特に芝村さんとか。だから水を差してもと思いまして。それに貴方がいたから、キリのいいところで止めると思いましたし。
……ところで速水君は、乗れるようになったんですか」
「はい」
「やっぱりね、そうですか。それはよかったですね」
善行はどことなく上の空という顔だ。軽く言った言葉とは別に、思うところがあるらしい。
「速水君はもう少し自信をつけた方がいいと思っていたんです。できれば仕事以外のことで」 
「それは自分も感じておりました。しかし、いきなり乗れるとも思いませんでしたがね。あの年頃は、覚えが早いのでしょうか」
「そうでもないですよ。ここだけの話、僕なんか一ヶ月くらいかかりましたし、」
「意外です。たしか平衡感覚は優れておいでだったと思いますが」
「臆病だったんですよ。それに人に練習しているところを見られるのが恥ずかしくて。夜中に家を抜け出して練習したんですが、ずいぶん転びましたね」
まあ、はじめは誰でもそんなものかもしれないですけど、と善行は照れくさそうに締めくくった。

静かな声は疲れているようにも聞こえた。若宮は、そろそろ先に帰るよう促すべきか、と考えながら答えた。
「そんなものですか。自分にはよくわかりません、はじめから乗れましたから」
善行はしばらく若宮の顔を凝視してから、答えた。

「ああ、そうか……そうでしたね」



       ※  ※  ※



善行の指先が眼鏡のフレームに触れている。若宮が、一体いつからそうしていただろうと思ったそのとき、善行が沈黙を破った。
「若宮。そこに座って、膝をつきなさい」
思ったとおりだ、なにか、ひどく腹を立てている。
若宮が心の中で嘆息しつつ従うと、善行はベルトを外して足元に投げ捨てた。上着の留め具を外してネクタイをゆるめ、そして若宮の肩に両手を乗せて、一気に体重をかける。
「何を……」
下手な抵抗は火に油を注ぐだけだと若宮は諦めた。押し倒され、砂場に尻餅をつくと、善行は機を逃さず腹の上に馬乗りになり、勝ち誇って笑んだ。

胸についた両手を動かして囁く。次第に上方に移動させると、首筋を撫でた。
「ほんとうに、貴方は何でも知っている」
「はい、いいえ。何でもというわけではありません」
「それに、いつも正しい。貴方ほど優秀な下士官はいないかもしれませんね」
「自分はそれ用に調整されております。ですから、お言葉は光栄ですが……」
善行は若宮の答えなど碌に聞いていないようだ。あっと思ったときには深く口づけられていて、深く舌を絡めて、しばらくして離れた。
若宮は唖然としつつ善行の表情を見分けようと目をこらしたが、電灯が逆光となって上半分が見えない。笑ったままの口元だけがやっと判別できたが、不穏な気配にそぐわず逆に
不自然だ。
「前から興味があったんですが。貴方を作った人たちは、こういう事も教えているんですか」
もう一度唇を重ねようとする善行の顔を、若宮は肘を立てて遮った。
「はい、いいえ、違います」
「どうして嘘が、言える」
眼鏡を外して胸ポケットに収めると、善行は問い続けた。
「貴方、何歳でしたかね」
静かな炎のような、怒りと、悲しみ。
これと同じまなざしを近頃どこかで見たと思い、若宮は記憶を辿った。

……ああ、そうか。
瀬戸口が東原を、同じような目で見ていた。

初めて顔を合わせたとき、善行は年齢固定型だと自己紹介した若宮を怖れなかった。それどころか珍しい友人を得たと言ったものだ。一度クローニングを受けて戻ったときも、変わらぬ態度で接して来た。部下として、旧い友人として、そして寝るときでさえ。
だが、それで他の誰とも平等に扱ったことになるのかといえば、違うのだろう。本人が意識しているかどうかには関係ない。

憐れみ、なのだろう。



できるだけ考えないようにしている部分に及びかけた思考を打ち切って、若宮は逆に質問
を返した。
「そういう貴方はどうなんです。まさか自分がはじめてだとも思えませんが」
「答える必要が、ありませんね」
「では自分も答えられません」
「そうですか、」
じゃあいいです。
善行は無表情に言って、若宮の膝の上までずるずると後退した。ズボンのファスナーを下げると、下着と肌の間に指を入れ、強引に中のものを引き出す。
「ミスター、おやめ下さい」
「今の貴方とこうするのは……はじめてですが。これから僕が何をしようとしているか。貴方、分かるんですか」
若宮は接触のせいではなく目眩を感じて俯いた。

こんなことをする男だろうか。
させているのは自分なのか。



なにより、これ以上卑猥な言葉を吐かれることに、耐えられなかった。不意を突いて腕を掴んで引きずり下ろす。横ざまに転がった身体に乗りあげ、両腕を後方に捻り上げながら抱き起こした。
「仕方のない人だ。そうです……貴方が喜びそうなことは、全部、分かりますよ。試してみますか」
背中から手を伸ばし、ファスナーを下ろし下着ごとズボンを引き下げる。柔らかく冷たいものを手に取ると、若宮、やめろ、と小さく叫んでもがき始めた。
やがて右手を振りほどくことに成功した彼に、腿に爪を立てられながらも、若宮は構うことなく先端を親指の腹で擦り続けた。否応なく頭をもたげてきたところで最も敏感と知っている場所に軽く爪を立てる。あっと声をあげて彼はくずれ、前に倒れ込んだ。

がつん、といやな音がした。額をぶつけたらしい。
「大丈夫ですか」
「大丈夫な、わけ、ない……。火花が。見えた」
「もっと、見せてあげましょうか」
「ふざけるな」
若宮は善行が縋りつこうと鉄柱に伸ばした手に、掌を重ねて縫い止めた。すっかり息があがっているのを悟られぬよう、必死で息を殺していることを感じながら、身体ごと柱に押
しつける。

制服越しに胸板に触れる骨格と体温が心地良い。上着を脱ぐべきだった、そう後悔しながら首筋に唇を這わせると彼の膝からまた一段、力が抜けた。
取り出したものはそのままに、ズボンを膝の下まで落とす。彼の体液で濡れた指でその場所を探りあてて押し開き、しばらく馴らした後で体を尻の下へ潜り込ませる。
「う、」
短く呻いて侵入を許した善行は、柱に額を押しつけて目を閉じている。
「どうなさいます。自分は、どうとでも」
受け入れた部分がもどかしげに痙攣しているのだが、知らない顔をして、若宮は動かず答えを待った。
素人目には、がっちり押さえ込んでいるように見えるだろうが、若宮は隙を残していた。善行も軍人で意外に膂力もある。振りほどこうとしてできないことはない。それに若宮の左腕には彼の携帯している銃が初めから触れていた。もし意に沿わないのならそれを抜き放つことができた。つまり彼に本気で逃れる意志がないことは明白だ。

「くそ……、どこまで、悪趣味、なんですか」
「どこがです」

結局そこから最後まで、善行はずっと黙って耐えていた。
ただ達するまでの間に一度だけ若宮の名を呼んだのだが、若宮は答えず、ただ回した腕に力をこめた。


「口の中に、砂が」
善行はほかにも、痛いだの汚いだの罵りながら立ち上がると、膝から砂を払い落とした。さりげなく動いているつもりのようだが、思ったほど成功していない。ネクタイを締め直す手が震えている。
「まったく。……今度同じことをしてみなさい」
「おいやでしたか。気が付きませんでした」
脇に吊したホルスターを指で示す。
「でしたら、それを向けたらよかったんです」
善行も同じ事を考えていたのだろう。悔しそうな顔をした。
「ここでは弾は抜いているんです」
「油断しすぎでは、ありませんか」
「そのようですね。今度から一発は込めておくことにします」

 言い捨てると善行は背を向け、おそらくシャワールームに向かったようだ。が、半歩しか足が進まず、諦めた様子で柱に寄りかかった。
後ろを向いたまま、善行は押し殺した声で告げた。
「弱音を吐くなと叱られそうですが、僕には貴方がそんな風に笑っていられる理由が、わからないんです」
一旦黙って、続ける。
「つまらない事を言いました……できれば、忘れて下さい」

「自分は確かに量産型で、記憶も焼き付けです。ですが」
若宮はなぜか芳野の汗まみれの笑顔を思い出した。彼女の名前も経歴も何もかもが書類上で作られた薄っぺらなものだが、それでもあの笑顔は心の底からのものだと信じられる。それはおそらく若宮自身も同じだから、だろう。
「この身体には、むしろ感謝しているのですよ。スカウトの仕事も単純なようで、一から覚えろといわれたら難儀ですが、……自分なら再生された次の日からでもまた、貴方のお役に立てます」
善行はまだ背を向けたまま、微かに笑った。
「これで役に立っているつもりなんですか。バカですね。
……たいした自信だ」



       ※  ※  ※



「3番機、B地点に到着。迎撃体勢」
「てき、にじゅう。スキュラじゅうはち、きたかぜぞんび、に。てんしゅかくのほうからまっすぐむかっています」
「残弾……25?っておい、バンビ。一度こっちに戻れないのか」
「えぇー、でも遠いし。それにそっちに行く間にも、何匹かいるし……それに」
追いつめられているはずの少年の声は落ち着き払っている。それどこか楽しんでいるようにさえ聞こえた。
「敵は20なんでしょ? だったら、5、余るよね?」

善行は速水と芝村に計画を打ち明けられてから、緒戦を勝利した後は黙って見守ることに決めていた。指揮など不要と互いに確認しあってから、実に一月が経っている。善行にとっては「介添人」という言葉の意味を理解する時間でも、あった。
速水は善行を司令として仰ぐことをやめていない。実は一度、立場を変わるよう持ちかけたのだが、泣きそうな顔で拒まれ今に至っている。後から理由を尋ねたところ「司令って面倒そうだよね?」と身も蓋もなかったが。

「速水くん、芝村さん。他の戦力を振り向ける余裕はありません。撃破されたら、救出は期待しないで下さい」
「わかっています……大丈夫です。行けます」
「我らに任せておけ」
「では行きなさい。行って、必ず、戻りなさい。ガンパレード」

決戦の時が近づいていることを察知したのだろうか、誰かが歌い出したガンパレード・マーチが無線に乗り、今や全軍に伝播しようとしている。指揮車内の子ども達もまた、思い思いの声量で、歌っている。
死の歌だ。
 間違いなく若宮も加わっているだろうと、善行は思った。目を閉じ耳を澄ましたところで聞こえるはずもないが。あの男は教えられもせぬ歌を、よく響く声で、誰よりも誇らかに歌うのだ。



朦々たる土煙が強風で吹き払われてゆく。甚大な量の爆薬でクレーター状になった大地の真ん中に、巨大な砲弾倉に拉がれて立つ、独特の姿形。まるで異形の鬼神のようだ。
「あっちゃん、まいちゃん、……きこえるのよ」
精神感応能力を持つ東原のみみが一番に、はしゃいだ声をあげた。
「3番機……ノーダメージです!」
信じられない、と言外に伝わる声音で瀬戸口が報告する。
ノイズ混じりのマーチが響く中、後に英雄と呼ばれる少年が凱旋しようとしている。善行は手の中の通信機のスイッチを切って、誰にともなく呟いた。

「こうなるような気がしていました」



《劇終》


★20060819 ASIA
同人誌「デウスエクスマキナ」より校正のうえ公開。