牧師室より

 わたしたちは、農村伝道神学校(略して農伝)で学び、牧師になりました。農伝は、神学教育の目標として、農村という場と農村への宣教を見据える、ということを第一に掲げています。学校紹介の案内文中にも、「『農』の営みによっていのちを育む大地にかかわり、いのちと食、さらに生態の保存を課題とします。さらに『農』の視点から派生してくる、貧困・差別・人権などを宣教の課題としています」と、記されています。また、「理念を確立し、そこから現実に向かうのではなく、農村を含む地域社会との対話のなかで、そこでの問題や課題を共有しながら神学教育を行っています」とも、続けられています。教育目標の第二が戦争責任を明確化した神学、第三が共同生活と大地に親しむことを大切にした教育、第四が日本基督教団の認可神学校として、かつエキュメニカルな神学教育、という順番で学校の姿勢が紹介されています。

 わたしたちは、最初に遣わされた教会も大都会東京の下町に会堂を建てた教会でしたし、次にこうして遣わされたここも、横浜の住宅地に位置する教会なので、「農」の現場からは、遠く離れた生活をすることになりました。けれども、神学校で培われた、教会での営みを通して地域社会と接点を持ち、そこで見えてくる様々な課題を見逃さないようにしていく視点は保ちたいと思っています。また、細々と屋上に菜園を作ったり、「農」の現場で奮闘している友人たちとの関係を大切にすることによっても、「農」の視点をなんとか保ちたいと願っています。今や「農」は、この国ではマイナーですが、そこに新たな価値を見出す若者もちらほら出て来ているのを感じます。教会もこの国ではマイナーな存在ですが、かえってマイナーな視点から将来に向けての希望が見出されることは、案外あるのではないかと思ったりもします。

 マルコによる福音書7章に、シリア・フェニキア生まれのギリシャ人女性が、ティルスでイエス様に、幼い娘を癒すよう求める記事があります。農伝で学ぶ中で、あの箇所について初めて感じ取った視点があります。それは、ティルスという大都会で洗練された生活をする都会人の女性が、少々評判にはなっているものの、ガリラヤという片田舎から出て来た得体のしれないユダヤ人の宗教者に、やむなく助けを求めている、という構図です。都会人の女性が、田舎から流浪してきたみすぼらしいイエス様にひれ伏して娘の命乞いをしている、という様を心に思い描いた時、あの場面での対話は、都市生活者のわたしたちに、イエス様に対する新たな視点を与えていることに気付かされました。(中沢麻貴)