牧師室より

イースターの時を迎えました。主の復活を共に喜びたいと思います。

 主イエスの復活の記事として、各福音書で報告されている記事は、「空になった墓」での出来事です。この記事は、男性の弟子たちが逃げ去った後、女性たちだけがイエスに従っていた様子を伝えています。かつてイエスの日々の生活を支えてきたのは、登場人物に代表される女性の弟子たちだったのでしょう。残念ながら各福音書は、十字架に至るまでの女性たちの働きを詳しく伝えていません。イエスの死と葬りの場面で、はじめて女性たちの存在が顕在化されるのです。この事実を知らされる時、主イエスのエルサレムへの旅は、より深みをもって読者である私たちに迫ってくるように思います。

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人……男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ328節)とパウロは語っていますが、初代教会の時代にも、教会に女性たちが多くいたことを想像させます。

 しかし同時に、福音書記者マルコは、「空になった墓」の前での女性たちの振る舞いをも伝えています。墓で彼女たちが出会った「若者」は、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」「あなたがたより先にガリラヤへ行かれる……そこでお目にかかれる」と告げています。

しかし「婦人たちは墓を出て逃げ去った」「だれにも何も言わなかった」とマルコは福音書を終えているのです。マルコ福音書の冒頭には、「イエス・キリストの福音の初め」とあります。「福音はここからスタートした」と言っているのに、福音(良き知らせ)はどこに記されているのかと驚くほど突然に、マルコ福音書は終わっているのです。その違和感の中で最後に示された言葉が、「ガリラヤでお目にかかれる」というメッセージです。この言葉に注目するとき、読者は再びガリラヤでの出来事を思い起こすために、最初からマルコ福音書を味わうように促されているのだ、という研究者の言葉に私も同意します。

 男性も女性も逃げ出してしまった。そのあと何が起きたのか。教会の存在こそが奇跡なのです。

(中沢譲)