牧師室より

宗教改革者、マルチン・ルターがギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳したことは、教会史上、決定的に大きな出来事であった。当時、カトリック教会はラテン語の聖書を用いていた。民衆は聖書を直接読むことができず、司祭たちの言葉と聖画を通して、触れるだけであった。聖書は、カトリックの司祭たちの手に握られていた訳である。それを、ルターはドイツ語に翻訳し、誰でも読めるようにした。

ドイツに行った時、妻の友人のイネス・シュースターさんがヴァルトブルグ城を案内してくれた。山の頂上の、城壁に囲まれた堅固な構えの城であった。ヴァルトブルグ城は、カトリック教会から追われたルターが、ザクセン選帝侯フリードリッヒ3に匿われた城である。ルターは、この城で、ドイツ語訳を完成させた。ルターが翻訳に用いた部屋、机、椅子を見た時、深く感動した。大きな窓から、眼下に、緑の山々が連なって見えた。歴史的な一室である。

 キリスト教月刊誌『福音と世界』に、作家・元外務省主任分析官の佐藤 優氏が「神学の履歴書」を長く連載している。佐藤氏は、傾倒するチェコの神学者・フロマートカの言葉を多く引用している。そして、次のように書いている。「教会が『聖書の所有者』なのではない。逆に聖書が『教会の所有者』なのである。フロマートカの理解では、カトリック教会、正教会は、主体と客体が逆転したキリスト教なのである。」

 今日、聖書は百数十の言語に翻訳されている。聖書を教会の所有物とすることはできないであろう。もはや、完全に民衆のものとなった。

教会が聖書を所有しているのではなく、聖書が教会を所有しているという指摘は大切である。教会は聖書に立脚し、代々の教会を作り上げてきた。従って、聖書の読み方によって、多様な教会が生まれてきた。今日、権威ある栄光のキリスト信仰ではなく、苦難を負わされた民衆のナザレのイエスに倣い、従う聖書の読み方による教会形成が世界のキリスト教界の中核になってきている。