牧師室より

キリスト教の月刊誌「福音と世界」に吉田新氏が「ドイツ通信」を連載している。12月号に、ヨーロッパを中心にカトリック教会で「教会の民の運動・われらが教会」という新しい教会のあり方を模索する信徒運動を展開していると報告している。

「われらが教会」運動は教会改革に関して、下記の五つの旗印を掲げている。@ 平等な教会組織の形成。一般信徒と聖職者の格差是正。教会の決定事項に一般信徒の意見を反映させる。A 女性聖職者の容認。女性を教会職から排除するのは、聖書的に全く根拠がないと主張。女性の教会内での地位向上を求める。B 聖職者独身制の見直し。独身の自由選択を主張。司祭の独身制は聖書的、教義的に必然性は見出せないとし、単に歴史的に形成されたものに過ぎず、変更の余地はあるとする。C 性倫理の見直し。婚姻前性交渉や同性愛の不承認など、旧態依然としたカトリックの性倫理への問題提起。D 脅迫の教えではなく、福音への転換。権威主義的な規範を訴えるより、社会の底辺に置かれている人々との連帯を重要視すべきと主張。

この運動は1995年、オーストリアで始まり、ローマに拠点を設け、現在20ヶ国に支部ができるほど支持されている。第二バチカン公会議は開かれたカトリック教会への改革を目指したが、改革以前に逆戻りしている現状に対し、公会議の精神を引き継ごうとする信徒による教会刷新運動で、権威主義な教会の体質と聖職者制度の見直しを求めている。

「われらの教会」運動が提案している五つの要望からカトリック教会の頑固な保守性が見え、人権侵害として扱われる問題があろう。しかし、日本基督教団も考えるべきところがあると思った。教団は信徒の意見も聞くが、教団・教区の会議で交わされる議論では圧倒的に教職の声が大きい。また、女性が多い教会の中で、女性の役職は極めて少ない。

そして、私は D の「脅迫の教えから福音への転換」に深く賛同する。怯えさせて信仰を迫るのではなく、喜びの中に招き入れる宣教が本当であると思う。裁きの律法(文字)は人を殺し、赦しの福音(霊)が人を生かすのである。