牧師室より

朝日俳壇で、選者の長谷川櫂氏は二席に下記の句を選んでいる。「兄は静おとうとは動入学す(香取市) 関沼夫」。そして「兄に次いで弟も小学生になるのだ。小さい子だからこそ、静、動の人物評がおもしろい」と評している。

主イエスはベタニアのマルタ、マリア、ラザロの3姉弟を愛された。長女のマルタは動で、次女のマリアは静である。主イエスがベタニアに来られた時、マルタはもてなすためにせわしく立ち働いていた。次女のマリアは主イエスの足元に座って、話に聞き入っていた。3姉弟の家庭を取り仕切る責任を持つマルタは動的であることが求められたのであろう。一方、マリアは座り込んでいる静的な人である。マルタは主イエスに向かって座って聞き入るマリアに「手伝ってくれるようにおっしゃってください」と不満を吐き出している。主イエスはその不満に「必要なものはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と答えられた。

今日の私たちは忙しく立ち働くことに追われているが、マルタがいなければ、生活を進めることができない。しかし、心を静めて自省、内省することを怠ってはいないか。これを怠る時、自分自身を失い、物事が見えなくなる。礼拝は神の前で自分を見つめ直し、歩むべき道を指し示されることを願う時である。この「静的」な礼拝を大切にし、後は全力でマルタのように「動的」に立ち働けばよいのではないか。