牧師室より

カール・バルトの翻訳者で、日本の教会に真に福音的な発言をされていた井上良雄先生が1950年に「基督教世界」という雑誌の「編集後記」に下記のように書いておられる。「『人間失格』という言葉を残して自殺した作家があったが、今日この国において、社会と言わず、教育と言わず、芸術と言わず、最も深い病根は、まさに『人間失格』という事実ではないだろうか。われわれが明確な人間像を紛失してしまったということが、一切の頽廃と無気力と混乱の根源ではないだろうか。もそのような病根は、今日われわれの問題というよりも、今少し深く、近代全体の中に巣食っているのかも知れない。(中略)われわれは今日、人間の恢復を願っている。切に願っている。しかし、われわれが願うのは、浅い医しではなくて、深い傷からの真実の医しである。真に人間の名に値する人間像の形成である。近代のこなごなに砕け散った人間像が、再び形成される場合、その形成の核となるものは何であろうか」

井上先生がこの文章を書かれて、半世紀以上が経っている。「人間失格」は飛躍的に加速しているのではないか。私は歴史をふまえた「人間論」を論述する能力はない。しかし、昨今の世相は「たがが外れた」人間模様に見える。助けなくしては生きられない幼児を虐待する、しかも実の親と言うから言葉を失う。高齢者をターゲットにした詐欺的商売をする。更に、水害や地震で困窮している人々を儲けの種にする。社会的弱者に置かれた人を被害者にするところには人間性のかけらもない。また、理由もなく、見知らぬ人に危害を加える苛立ちは荒廃の極みと言えよう。

ブッシュ政権はイラクには大量破壊兵器があると言って攻撃した。私は仮にあったとしても攻撃する権利はないと思う。大量破壊兵器を大量に持っているのは米国である。また、グローバリゼーションという名の下で、貧しい国からの猛烈な搾取が合法的に行なわれている。このような弱い者いじめ、弱肉強食が罷り通っているのに、それに歯止めがかけられない。日本の責任ある政治家や財界人も自分の利益のために不法を行い、責任を取らない。

エレミヤは自国が混乱の中で崩壊していく悲惨な状況を「身分の低い者から高い者まで、皆、利をむさぼり、預言者から祭司に至るまで皆、欺く」と荒廃を嘆き、弾劾している。私たちも、将来に対して悲観的にならざるを得ないが、「悲観論は感傷的で、楽観論は意志的である」という言葉がある。井上先生の言われる「人間形成の核」が何であるか、諦めないで求め続けることが私たちの信仰であろう。