◇牧師室より◇

 「911」テロで肉親を失った被害者の百家族ほどが「平和な明日(Peaceful Tomorrows)」というグループを結成し、報復や戦争でなく平和的な解決を模索・提案している。「平和な明日」は非暴力を貫いたマーティン・ルーサー・キング牧師の「戦争は『平和な明日』を彫りだすことにおいて、稚拙なのみである」という言葉から取っている。

 グループの共同代表であるデイヴィッド・ポトーティ氏が来日して「平和な明日を!と題して講演をされた。私も聞きに行ったが、深い信仰と思想と行動に感銘を受けた。

 ポトーティ氏が「われらの悲しみを平和への一歩」という本を著し、「平和な明日」運動の全容を報告している。「私たちと同じ悲しみを他の人に負わせないで!」「私の息子を利用して戦争をしないで!」という被害者家族の思いが一つに結集された。国内はもちろん、外国にも行って、暴力に頼らない平和構築を訴え続けている。アフガニスタンやイラクにも行き、爆撃された被害者たちと「悲しみの涙」を共有している。70歳を越えるメンバーが警官に手錠をかけられながらも、イラクへの開戦阻止を訴える姿も伝えている。しかし、星条旗の下で燃え上がった報復へのあの勢い中で、彼らの戦いは理解されることは困難であった。Eメール・メッセージには「お前には市民権を取り消して、さっさとこの国から出て行って欲しい。幸いにもお前の無学な意見も、… そうだ、爆撃をしたような人間たちによって、守られているのだ」というような無数の罵声が届いている。彼らは無理解と罵声に屈せず、日本のヒバクシャを含め、多くの平和団体と連携しながら運動を展開している。少数ではあるが、米国には自由と良心を持つ市民がおり、彼らの力強さに敬服する。

 訳者の梶原寿氏は米国社会を根底で支えているキリスト教精神が鳴り響いていると、贖罪信仰に言及している。贖罪信仰とは主イエスの十字架の血を通して神の無償の愛を信じる信仰である。この信仰が人間の尊厳を保障する。そして、この信仰は自らも主イエスに倣う実践に身を投じる。ところが、支配者たちは前半のみを受動的に受けとめ、実践部分を欠落させていると批判し、私たちにも問いかけている。