◇牧師室より◇

 アメリカの日本史家ジョン・ダワー氏の「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人」を興味深く読んだ。膨大な資料から戦後の日本人を立体的に描き出している。氏のエネルギーと知性に敬服する。歴史は権力者たちの抗争とその影響を書いたものが多いが、氏はそれらに只の庶民たちの生活と感覚を織り交ぜて、論述している。この文脈の中に自分がいたと確認、納得できる。

 庶民の二例を紹介したい。戦後の占領軍は圧倒的な力を持っていた。殊にマッカーサー元帥は「救世主」のように扱われた。多くの贈り物と手紙が送られた。その手紙の中に、ある地方在住の男性から、マッカーサー元帥によって民主主義がもたらされたことに深い感謝を述べた後、自分の住んでいる地方の選挙に立候補するにたる立派な人がいるが、立候補をためらっているので、元帥から立候補するように「命令」を下して欲しいという依頼の手紙があった。

 笑うに笑えない話である。日本はアメリカによって民主主義が上から与えられ、自分たちで勝ち取ったものでないことを如実に物語っている。これは今の私たちの問題でもある。

 天皇の名によって戦争が始まり、拡大し、そして815日の玉音放送によって敗戦を迎えた。戦後は当然、天皇の戦争責任と退位問題が声高く論じられた。アメリカは日本の占領支配に天皇を利用しようと当初から考えていた。宮内庁とタイアップし、責任や退位の主張を退け、平和主義者・裕仁天皇を作り上げていった。天皇礼賛者で「聖戦」を信じて疑わなかった渡辺清氏は15歳で海軍に入隊し、戦艦武蔵に乗って、マリアナ海戦で大敗北を経験した。戦後になって事態の真相を知り、天皇に騙されたと怒り狂う。天皇を海底に引き摺り下ろし、何千という戦友の死骸をその眼に見せてやりたい夢想にかられる。海軍から受けた給与と品々の明細を列挙し、合計金額の為替を同封し、「私は、これでアナタにはなんの借りもありません」と結ぶ手紙を天皇に出したという。

 ダワ−氏の日本人論は紋切り型ではなく、生きて多様性に富んでいる。