2005.8.28
でんせつのおとこ

2005年8月27日。

我がFsのユキオこと田中幸雄が、札幌ドームでの対ソフトバンク戦でサヨナラヒットを打った。
これが通算1,000打点。
8月10日以来打点が出ずに足踏みをつづけ、ようやく達成した。

「野球で涙が出たのは初めて、やっぱり野球の神様はいた」と人目をはばからず涙をぬぐった。

このヒットで2,000本安打まで残り41本。
この数年出番が激減してそのペースが落ちていたため、こちらの記録への注目が先行していた。

しかし、1,000打点という数字… 1,000という数字は大きいが、それがどれほどのものなのかピンとこない人が多いだろう。
何と、NPBで歴代25位というすさまじい記録なのだ。
さすがに同い年でプロ入りも一緒の清原和博はさらに上を行っていて、この日現在1,491打点で歴代8位だ。

ユキオが歴代記録の順位で一番高いところに名があるのが通算三振。
今季これまで1,358三振は、王貞治を抜いて9位となった。
ここでも清原は上を行っていて、1,861三振は歴代トップだ。ちなみに歴代2位はAK砲の相方・秋山幸二の1,712だ。

ユキオは清原に「絶対(2,000本安打を)決めてくれよ」と言われている。
その清原は8月31日に左ヒザ半月板の手術をすることが決定。今季出場はこれでなくなる。
高額年俸に見合わない成績、扱いづらい人間性のうえに、巨人は若返りの方針。
複数年契約が切れることもあり、退団となる可能性も低くない。


出場試合数ではユキオは2,096試合で歴代24位に入っている。
現役では清原2,249(13位)、立浪和義2,182(22位)の2人が上にいるだけ。
今季古田敦也と野村謙二郎という2人の選手が2,000本安打を達成、
この日現在で古田が1,950試合、野村が1,906試合出場なので、ともに達成のときは1,800試合台と、
ユキオより安打製造がハイペースなのがわかる。

ユキオは2002年、132試合に出場し130安打を放ったが、03年は78試合66安打、04年は35試合20安打。
04年は「カラダが元気なのに試合に出られないのが悔しい」と語っていた。
今季は一転、この27日をもって79試合と、2年前の出場試合数をも超えた。

清原を相手に引退登板を行ったベイの佐々木主浩(9.00・3敗4S)も彼らと同学年(佐々木はハマスタ最終戦にも登板予定)。
ほか、桑田真澄(9.28・7敗)、西山秀二(.118・0点)、佐々岡真司(6.48・5敗)、初芝清(.216・1本・6点)、
河本育之(7.27)、大島公一(.227・1本・8点)という同学年の選手が生き残っている。
しかし、どの選手も目立った活躍はない。
清原は22本、52打点ながら打率は.217と芳しくなく、さらに現在リタイア中。

となると、いま一番活き活きとプレーしているのがユキオ(.255・4本・19点)ということになる。
西山と大島が同い年というのも面白いが、目の細い選手が多いのは気のせいか?(笑み)


思えば、清原も立浪も、古田や野村も故障との闘いでここまでやってきた。
そしてユキオも、右ヒジ・右ヒザに爆弾を抱え、腰もよくない。
プロ入り時にはほっそりしていたカラダは、今や筋骨隆々。
ユキオを連れてきたスカウトが
「高校生でカラダができている選手は伸びないことが多く、まだ細くても今後大きくなる選手を見つけるのも当然難しい。
 プロ入り後にグンとカラダが大きくなったユキオは大当たりだった」
と話している記事を読んだことがある。

野球は総合的な筋肉バランスを求められるが、清原のようにパワーを求めて肉をつけすぎると故障が起きやすくなる。
清原と同じトレーナーについてトレーニングしている大関・千代大海も同じくケガしぃになっている。
理想は金本智憲。一般人に比べれば筋肉はスゴイのだが、清原ほどはカラダが太くなっていない。
スムーズで力強い動きができる、しなやかな筋肉を持っているのだ。
ユキオもまた、立派な筋肉がいささか障害になっている部分があるのではないか?

もともとおとなしく、優しい人間。
本当は休みたいくらいのケガを押してでも、黙々と試合に出続けるタイプ。
そんなこんなで、チームのまとめ役は後輩の片岡篤史や小笠原道大に譲ってきた。


ユキオの打撃タイトルは95年の打点王のみだ。さすが1,000打点を達成しただけあって、打点には強いようだ。
が、投高打低のこの年は特殊なシーズンとも言える。打点王と言いつつ、その数字はたった80打点。
しかも、同い年初芝、前年210安打を放ってブレークしたイチローと3人で分け合ったものだった。
ちなみにこの年の本塁打王は小久保裕紀で、これまたたった28本。いまでは考えられない数字だ。

打点王経験者ながら、ユキオの1,000打点は史上最スロー記録である。
要した試合数2,096試合。
これまでのスロー記録は先輩・大島康徳がFsに移籍した1988年に達成したときの2,055試合だった。
通算記録上位に列記される蒼々たる面々に比べると、ユキオはいささかイメージが地味な選手。
正直、Fsやパをよく知らない人からすれば、「田中幸雄ってそんなすごい選手だったのか」という言葉を漏らすに違いない。

ユキオはいつだって「たなかゆきお」だった。
入団時に、まったく同姓同名同文字の投手がいたからだ。185cm(現在は184cmで登録)と背の高いユキオだが、先にいた投手は190cm。
で、チーム内では「コユキ」「オオユキ」と呼び分けられることになった。
スコアボードの表示はオオユキが田中幸、コユキが田中雄となった。
田中投、田中内でもいいのになぁと思うところだが、これはほかに田中富生と田中学というふたりの投手がいたからだ。

この後も、Fsには大内から改姓した田中実、田中賢介、田中聡などが在籍。
スコアボードが「田中」で済まされていたのは1990-91の2年間だけである。
こんなところも、地味さが出ていたりする。


ユキオの生涯記録で区切りがいいところに届きそうなのは、
2,000本安打(あと41)のほか、1,000得点(あと48)、300本塁打(あと19)、400二塁打(あと15)などだ。
二塁打はこの日現在歴代11位。1位は立浪の462本で、福本豊の449を今季抜いて堂々歴代トップに躍り出た。
清原は336本。通算二塁打はユキオが清原に勝っている貴重な項目だ。

いまの状態を考えれば、来季もユキオが現役でプレーするのは間違いないだろう。
イヤな言い方になるが、現役晩年巨人に在籍した加藤英司は2,000本のため南海に、同じく張本勲は3,000安打達成のためにロッテに移って達成した。
駒田徳広は2,000本達成の年に引退、野村謙二郎は達成翌日にスタメンを外され、以降2ヶ月経ったこの8月27日までたった13本しかヒットを打っていない。
古田も達成後ケガが絶えず、リタイア中。
立浪のように、引退という言葉とは無縁の状態で2,000本を達成するのは稀な例なのだ(張本は1,000多いが)。
加藤も張本も駒田も、巨人で背番号10をつけたのは奇縁なり。


大きな故障なくいまのペースで行けば、来季間違いなく2,000本安打は達成されるだろう。
史上最も地味な名球会プレーヤーとして注目を浴びるはずだ。

しかし、侮るなかれ。2歳年下のロッテ・堀幸一が現在1,662安打で後を追っている。
オリオンズの生き残りの堀。こちらは打撃タイトルはおろか、ゴールデングラブやベストナインも経験していない、純ノンタイトル選手なのだ。
03年に自己最高の22本塁打・78打点をたたき出した堀はまだまだ元気。今季もこれまで打率.317と健闘している。
もし堀が将来2,000本に到達しようものなら、ユキオは地味さも中途半端ということになってしまうかも…

★  ★  ★

ユキオが1,000打点をサヨナラ打で決めた日の夜、所沢・インボイスSEIBUドームではとんでもないことが起きていた。
今年5月13日、同じインボイスでの対巨人戦でノーヒットノーランをあと一人で逃した西武・西口文也がまたもや大記録に王手をかけていた。

こんどは楽天相手に8回パーフェクト。そして9回も2人片づけて、迎えるは9番・藤井彰人。
5月13日の試合で9回二死から一発を喰らった清水隆行に比べれば屁でもない相手。
西口は見事にショートゴロに討ち取る。見事、1人の走者も出さずに9回を投げ終えた。

本来であればここで大歓声とともに野手が駆け寄るところだが、後者がなかった。
ひさびさに先発に復帰した楽天・一場靖弘が8回を完封していたのだ。9回裏に見方が一場を打ち崩さないと、記録は達成されない。

この記録に関してはとことん運がない男だ。
2002年8月26日の対ロッテ戦。9回二死までノーヒットピッチングだったが、小坂にセンター前ヒットを浴び、ガックリ。
2005年5月13日の対巨人戦。9回二死までノーヒットピッチングだったが、清水にライトへ弾丸ライナーの一発を浴び、硬直。
二度もあと一人でノーヒットノーランを逃したのはロッテ・仁科時成以来2人目の珍事だった。


そのイヤな思い出がまだ消えないこの日。
今度はさらに上の完全試合という形で9回を投げ終えたのに、相手の0勝7敗1Sという成績の一場が無失点の好投を演じてしまう。

しかし、裏の攻撃がまだある。
西武は中島裕之、細川亨が凡退したが、高木浩之がライトへヒット、栗山巧が四球を選び、二死一・二塁のチャンスとなった。
バッターは赤田将吾。誰もが三度目の正直を期待したが…
将吾だけにショーゴ… ショートゴロに終わる。

歯がゆすぎる。こんなことがあっていいのだろうか?
西口は続投。
しかしこのガッカリ感を引きずったか、10回表・先頭の沖原佳典にしぶとくライトへ運ばれ、完全試合とノーヒットノーランの2つが夢と消えた。
後続を断ち、完封は譲らない。

その裏、笑う首位打者・石井義人のサヨナラ二塁打により西武はサヨナラ勝ち。
西口はヒーローインタビューに指名されたが、その準備が整うまでの間は…
しょっぺぇなぁ…

過去、似たようなことがあった。
先輩・ナベQこと渡辺久信は90年のFs戦において9回を投げきりノーヒットノーランだったが、見方も無得点。
延長10回も記録を継続し、11回表にようやく見方が2点先制。
延長11回も当然登板したものの、小川浩一(のち皓市)にライトへヒットを打たれて記録達成ならなかった。
この試合はナベQはリリーフを仰ぎ完封勝利もならなかったが、勝ち投手にはなれた。
ほか、過去に延長でノーヒットノーランを逃したのは7例があるものの、完全試合逃しは西口が初。

メジャーでの延長による完全逃しも59年のパイレーツのハディックス(延長13回に三塁エラーで初出塁、その後サヨナラ二塁打を浴び敗戦)、
95年のエクスポズのペドロ・マルティネス(延長10回に見方が1点先制、その裏の先頭打者に二塁打を浴びるも完封勝利)の2例だけだ。

メジャーでもそんななんだから、西口は「世界一ノーヒットノーラン運のない男」と言えよう。
伝説の男になった。


西口はこの日の「完封勝利」で、トップのソフトバンク・杉内俊哉に並ぶ16勝目を挙げた。
2年目の96年に挙げたシーズン16勝に並び、次回の登板に自己最高シーズン勝利更新を賭ける。

Back